師団



 

 
陸軍最初の師団編成
明治21年、それまで存在した鎮台と呼ばれていた部隊が存在した。これは東京・仙台・名古屋・大阪・広島・熊本の6鎮台であり、これを順に第一師団から第六師団まで順番に改称したのである。この編成替えには5年ほどかかり、順次改称されていった。この結果、常備兵力64,000名、最大動員220,000名となった。
さらに明治24年、宮城防衛を担当する近衛都督が近衛師団と改称される。
また上記部隊とは別に、北海道の防衛を担当する組織として屯田兵という部隊が存在した。この屯田兵を改編し、臨時部隊として第七師団と改称されたのが明治27年、師団長が正式に発令されたのが明治29年のことであった。
この近衛師団を含め、第七師団を除いた7個師団が日清戦争で戦った全師団である。
初期8個師団
近衛都督 近衛師団
東京鎮台 第一師団
仙台鎮台 第二師団
名古屋鎮台 第三師団
大阪鎮台 第四師団
広島鎮台 第五師団
熊本鎮台 第六師団
屯田兵 第七師団



日清戦争後の軍拡、及び日露戦争によって新設された師団
日清戦争後、軍備拡大の必要から新たに5個師団が新設された。
明治31年〜明治33年に弘前・金沢・姫路・善通寺・久留米の5箇所に第八師団〜第十二師団が編成されたが、これらの師団は第二師団が第八師団を、第三師団が第九師団といった具合に編成を担当した。
以上が日露戦争を戦った主要師団である。
日露戦争主要師団
近衛師団
第一師団(東京)
第二師団(仙台) 第八師団(弘前)
第三師団(名古屋) 第九師団(金沢)
第四師団(大阪) 第十師団(姫路)
第五師団(広島) 第十一師団(善通寺)
第六師団(熊本) 第十二師団(久留米)
第七師団(北海道)
だが、実際にはこの師団数では不足であり、さらに4個師団の新設が行われている。
それが第十三師団〜第十六師団である。
この師団は当初臨時編成師団として編成されたにも関わらず、日露戦争後も解体はされずに常設師団となる。その上、さらに師団の増設が行われ、第十七師団、第十八師団の2個師団が増設された。

明治43年、さらなる軍備増強が決定する。朝鮮併合である。朝鮮半島への常駐戦力として2個師団の増設が議会に要求された。だが、この要求は財政問題から棚上げされ、最終的に議会が承認し、新設されたのは大正4年になってからのことであった。第十九師団、第二十師団の新設である。(編成完了は大正10年)

この結果、陸軍の常設師団は全21個師団となった。
大正10年の師団状況
近衛師団 第七師団(北海道) 第十四師団(宇都宮)
第一師団(東京) 第八師団(弘前) 第十五師団(名古屋)
第二師団(仙台) 第九師団(金沢) 第十六師団(京都)
第三師団(名古屋) 第十師団(姫路) 第十七師団(姫路)
第四師団(大阪) 第十一師団(善通寺) 第十八師団(久留米)
第五師団(広島) 第十二師団(久留米) 第十九師団(羅南・朝鮮)
第六師団(熊本) 第十三師団(仙台) 第二十師団(龍山・朝鮮)



大正軍縮による師団の廃止
第一次大戦による世界的不況により、各国の軍備縮小が行われた。
陸軍も、軍事費の削減を図り、大正11年〜大正14年にかけて、3次におよぶ軍縮が行われた。そして第3次軍縮によって、第十三師団・第十五師団・第十七師団・第十八師団の4個師団が廃止となった。
全17個師団編成である。
尚、この状態で山東出兵、満州事変、熱河作戦を行われた。
大正14年、宇垣軍縮による師団状況
近衛師団 第七師団(北海道) 第十四師団(宇都宮)
第一師団(東京) 第八師団(弘前) 第十五師団(名古屋)
第二師団(仙台) 第九師団(金沢) 第十六師団(京都)
第三師団(名古屋) 第十師団(姫路) 第十七師団(姫路)
第四師団(大阪) 第十一師団(善通寺) 第十八師団(久留米)
第五師団(広島) 第十二師団(久留米) 第十九師団(羅南・朝鮮)
第六師団(熊本) 第十三師団(仙台) 第二十師団(龍山・朝鮮)



昭和11年の『軍備充実計画』
満州事変及び満州国建国により、国内は非常時体制となる。国家総力戦の思想が軍と世論を支配しつつあった。
この結果、昭和11年『軍備充実計画の大綱』が作られ、昭和12年度〜昭和17年度にかけて戦時兵力40個師団という計画が示された。これは平時の常設師団として10個師団増やして27個師団にしようという計画であった。
内訳は日本本土に14個師団、朝鮮半島に3個師団、満州国に10個師団である。
だが、いきなり10個師団の増設は財政的にも無理があるため、陸軍は既存の師団の改編を行った。
4単位師団から3単位師団への改編である。
これは従来の師団が4個歩兵連隊編成であったのに対し、3個歩兵連隊編成にして戦略単位としての師団数を増やそうとしたのである。

この増設に伴い、新たに一〇〇番台師団と、大正軍縮で廃止された4個師団が復活した。これらの師団は特設師団と呼ばれる。
これは従来の師団が受け持つ管区内で、従来の師団を常設師団(甲)、それとは別に動員される野戦師団を特設師団(乙)とする動員計画である。ただし、編成上の特異性があり、常設師団が3単位編成となったにも拘らず、特設師団は火砲が充分に配備できなかった分を歩兵連隊で補う為に4単位編成とされた。それでも一部の師団(第十五師団・第十七師団)では3単位編成に再編成されて中国戦線に派遣されていたりもする。
また下記表の通り、全ての師団が常設・特設師団となった訳ではない。
特設師団及び廃止師団の復活
常備師団(常設(甲)師団) 特設(乙)師団
近衛師団
第一師団(東京) 第一〇一師団(東京)
第二師団(仙台) 第十三師団(仙台)
第三師団(名古屋) 第十五師団(名古屋)
第四師団(大阪) 第一〇四師団(大阪)
第五師団(広島)
第六師団(熊本) 第一〇六師団(熊本)
第七師団(北海道)
第八師団(弘前) 第一〇八師団(弘前)
第九師団(金沢) 第一〇九師団(金沢)
第十師団(姫路) 第十七師団(姫路)
第一一〇師団(姫路)
第十一師団(善通寺)
第十二師団(久留米) 第十八師団(久留米)
第十四師団(宇都宮) 第一一四師団(宇都宮)
第十六師団(京都) 第一一六師団(京都)
第十九師団(羅南・朝鮮)
第二十師団(龍山・朝鮮)
全17個師団 全12個師団
しかし、日中戦争は次々と戦線が拡大し、それゆえ上記の師団増強だけでは足りず、さらなる師団の増設が行われることとなる。日本は泥沼の戦争に足を踏み入れたのである。
以下は、特設師団以外に増設されていった師団である。



中堅師団の増設 〜二十番台師団〜
戦場での師団不足の為に新設された師団であり、常設師団が4単位編成から3単位編成に改編した際に余剰となった連隊を基幹として編成された師団と、既存の混成旅団や支那駐屯地兵団基幹とした師団である。その為、充分に戦闘経験を有した精鋭師団であると言える。
尚、第二一師団・第二二師団は本土で編成された完全な新設師団であり、第二三師団も一度廃止された連隊を復活させて編成した師団である為、精鋭師団とは扱いが違うといえる。
二十番台師団の編成
第二一師団(金沢) [新設師団]
第二二師団(宇都宮) [新設師団]
第二三師団(熊本) [復活した連隊により編成]
 第五師団(広島)  第二四師団(満州)
 第八師団(弘前)
 第四師団(大阪)  第二五師団(満州)
 第十師団(姫路)
 第十二師団(久留米)
 独立混成第十一旅団  第二六師団(華北)
 北支那駐屯混成旅団  第二七師団(華北)
 第一師団(東京)  第二八師団(満州)
 第二師団(仙台)
 第九師団(金沢)
 第三師団(名古屋)  第二九師団(満州)
 第十四師団(宇都宮)
 第十六師団(京都)



治安維持師団の増設 〜三十番台師団(1)〜
増大する軍備。増加する占領地。果てしなき泥沼の日中戦争にあった、既に占領した地域の治安回復、維持、警備を行うのに、既存の戦力・部隊を投入することは出来なかった。未だ戦闘が終了しておらず、尚、前線で部隊が必要な為である。
この占領地の治安維持と警備を目的として編成されたのが所謂三十番台師団である。
第1次編成として昭和14年2月に7個師団[第三二師団〜第三七師団]、第2次編成として昭和14年6月に4個師団[第三八師団〜第四一師団]、合計10個師団である。尚、第四十師団・第四一師団は後述する四十番台師団ではなく、編成としては三十番台師団として治安維持師団に属する。
この治安維持師団は他の常設師団とは異なり、通常よりやや劣り、兵員14,000名程度で編成されている。師団編成も3単位編成師団であった。
装備的にはやや劣る程度の装備とのことであったが、なかには常設師団と同等の最新装備を有する師団もあった。
治安維持師団
第1次編成師団 第三二師団(東京)
第三三師団(仙台)
第三四師団(大阪)
第三五師団(旭川)
第三六師団(弘前)
第三七師団(久留米)
第2次編成師団 第三八師団(名古屋)
第三九師団(広島)
第四十師団(善通寺)
第四一師団(龍山)



満州永久駐箚師団・・・の後釜師団 〜五十番台師団〜
『昭和15年軍備改変要領』の策定により、在満州駐屯師団の増強が決定する。
従来は、本土に存在する常設師団より2個師団を順に満州に派遣して防衛に当たらせていたが、満州の実質的支配が始まったことによって、対応が従来どおりでは難しくなった為に決定した方針であった。
つまり、満州に固定した戦力を配置しようとしたのである。従来どおりの方法だと有事の際にわざわざ本土で兵員を動員し、それを輸送するのだが、これでは迅速に対応出来ない為である。
満州に永久駐箚することとなった師団は常設師団8個、新設された二十番台師団から5個師団の合計13個師団となった。
代わりに、本土から満州に配置換えすることとなった常設師団の変わりに、その残留部隊(留守部隊)を基幹に新たに編成されることとなったのが7個の五十番台師団である。
これらの師団編成の狙いは、補充兵の確保にある。つまり、(1)幹部を平時に多く保持すること。 (2)補充兵教育の刷新 (3)戦時要員の増加 などである。このため、師団の編成・装備は通常の2/3程度となっている。
また、師団編成の時期もバラバラである。駐箚師団に指定された第十六師団は実際には満州に派遣されていない。このため、後釜師団として編成される予定だった第五三師団は、太平洋戦争開戦の為にフィリピン攻略戦準備で本土を離れた後にやっと編成を開始したのである。
尚、同じく永久駐箚師団に指定された第一師団に関しては留守師団を編成せず、第六一独立歩兵団を編成した。
満州永久駐箚師団 五十番台師団・独立歩兵団
 第十四師団(宇都宮)  第五一師団(宇都宮)
 第六二独立歩兵団(高田)
 第九師団(金沢)  第五二師団(金沢)
 第六三独立歩兵団(豊橋)
 第十六師団(京都)  第五三師団(京都)
 第六四独立歩兵団(奈良)
 第十師団(姫路)  第五四師団(姫路)
 第十一師団(善通寺)  第五五師団(善通寺)
 第六五独立歩兵団(福山)
 第十二師団(久留米)  第五六師団(久留米)
 第六六独立歩兵団(小倉)
 第八師団(弘前)  第五七師団(弘前)
 第六七独立歩兵団(盛岡)
 第一師団(東京)  第六一独立歩兵団(東京)
師団を構成する歩兵連隊に関してだが、混乱し、正確に把握するのは極めて困難になってくるのも、この師団編成時期からである。
各師団に配属された連隊は編成を担当した師団、または留守担当師団の復員した特設師団の連隊番号を使用した。
一方で未だ戦地に派遣されていて復員していない特設師団(第十八師団・第一一〇師団・第一一六師団の3個師団)を担当する常設師団(第十二師団・第十師団・第十六師団)の場合、新たに編成される師団(第五六師団・第五四師団・第五三師団)には、大正14年の軍縮の際に廃止された連隊番号が復活して使用されている。

また、五十番台師団編成時に、独立歩兵団を編成した。



留守師団について
これ以降、師団の増設の際に留守師団が登場する。当初は常設師団が動員され戦地に派遣される時に残留する要員を留守師団と称した。この場合、師団長同様留守師団にも留守師団長が天皇から任命されて任務に付く。主な任務は教育と派遣された師団に対する人員補充である。
他に師団の1/3以上が残留し、留守師団も師団長が兼任する場合がある。
前者は日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争が該当し、後者はシベリア出兵や満州駐箚が該当する。また全体に留守師団と称していたが、昭和15年からは後者の場合を補充隊と称するようになった。

第五十番台師団編成以前の場合、戦地に派遣される師団番号と残る留守師団の番号は同一である。(例:『第二師団』の留守師団が『留守第二師団』と称する。)
ところが第五十番台師団は満州永久駐箚師団の留守師団として編成されることとなった。
そして第五十番台師団も戦地に動員されるようになると、その留守部隊としてのた留守師団が編成された。例えば第五六師団の場合、太平洋戦争開戦と同時に戦地に派遣されたため、留守部隊として留守第五六師団が編成されている。そしてこの留守師団は第五六師団のみならず、本来の第十二師団に対する補充も担当するようになっていた。



太平洋戦争開戦後の増設師団


近衛師団 現地編成師団の改編 〜近衛師団・三十番台師団(2)〜
基幹部隊 新編部隊
 近衛混成旅団  →  近衛第一師団
 近衛師団  →  近衛第二師団
留守近衛第二師団 → 近衛第三師団
第 五師団)歩兵第四一連隊
第十九師団)歩兵第七四連隊
第二十師団)歩兵第七七連隊
 →  第三十師団(平壌)
 歩兵第二六旅団
(川口支隊)第一二四歩兵連隊
 →  第三一師団(タイ)



戦時特設された動員計画上の常設師団 〜四十番台師団〜
太平洋戦争開戦に伴い、日中戦争とは比べ物にならないほど広がった戦域に対応すべく国内で行われた『根こそぎ動員』。
『昭和十八年総合作戦指導並びに兵力運用及び兵備の大綱』に基づき昭和17年には合計57個師団(実際には既に復員し、廃止された特設師団が存在する)にたいして、さらに14個師団の増設を行うと計画した。
四十番台師団もそれに該当し、既に治安維持師団として三十番台師団のときに編成された第四十師団・第四一師団と、昭和15年に台湾混成旅団と、第六師団から編入された歩兵第四七連隊を基幹として編成された第四八師団(編成時期、部隊としての性格を考えた場合、二十番台師団に相当する師団に該当する。)を除く師団が戦時編成された常設師団として誕生した。
各師団は昭和15年の兵力増強時に編成された各独立歩兵団に、4単位編成から3単位編成になった際に余剰となった連隊を加えて基幹とした。この余剰連隊とは元々留守師団や在来師団は前線に出動している師団が3単位編成であっても、装備の不足を補う為に4単位編成のままであった。その戦力を余剰連隊として抽出したのである。(余剰連隊は8個連隊ほどであった。)
開戦前  台湾混成旅団  第四八師団(海南島)
 歩兵第四七連隊(大分)
 第六五独立歩兵団(福山)  →  第六五旅団(福山)
第1次編成
(昭和18年)
 第三十師団(平壌)
 第三一師団(タイ)
 留守第二師団(仙台)  第四二師団(稚内)
 第六二独立歩兵団(高田)
 留守第三師団(名古屋)  第四三師団(名古屋)
 第六三独立歩兵団(豊橋)
 留守第六師団(熊本)  第四六師団(熊本)
 第六六独立歩兵団(小倉)
 第五七師団(弘前)  第四七師団(済南(華北))
 第六七独立歩兵団(盛岡)
第2次編成
(昭和19年)
 留守第四師団(大阪)  第四四師団(大阪)
 留守第二十師団(龍山・朝鮮)  第四九師団(京城)
 第六四独立歩兵団(奈良)
四十番台師団の中で、第四五師団が欠番となっている。これは第六五独立歩兵団が開戦前に第六五旅団に改編され、初戦のフィリピン攻略作戦に参加。その後ソロモン方面ラバウルの第八方面軍に編入されたことに理由がある。戦局が悪化し、兵力を後退させることの出来なかったラバウルに配備された為、予定されていた第四五師団への改編が出来なかったのである。このため第四五師団は終戦まで欠番となった。



戦時中に編成された治安師団 〜六十番台師団〜
昭和17年以降、中国戦線に在った独立混成旅団を改編して編成された治安師団。性格的には三十番台師団と同様であり、歩兵2個旅団編成(但し4個歩兵連隊ではなく、8個独立歩兵大隊で編成)で、砲兵部隊を有しない兵員12,000名程の師団であった。
但し、六十番台師団とはされているが、本土の五十番台師団が第五七師団で止まっている為、後をついで第五八師団以降〜第七十師団の師団番号を充てられている。
昭和17年編成  独立混成第十八旅団(華北)  第五八師団(華北)
 第一〇六師団(熊本)
 (復員・廃止 装備・人員を移管)
 独立混成第十旅団(東京)  第五九師団(華北)
 独立混成第十一旅団(広島・善通寺)  第六十師団(華中)
 独立混成第十四旅団(姫路)  第六八師団(華中)
 独立混成第十六旅団(姫路)  第六九師団(華北)
 独立混成第二十旅団(善通寺)  第七十師団(華中)
 琿春駐屯隊
 第一一〇師団(姫路)第一四〇連隊(鳥取)
 第七一師団(満州)
昭和18年編成  第六一独立歩兵団(東京)  第六一師団(東京)
 独立混成第四旅団(京都)  第六二師団(華北) 
 独立混成第六旅団(名古屋)の一部
 独立混成第十五旅団(宇都宮)  第六三師団(華北)
 独立混成第六旅団(名古屋)の一部
 独立混成第十二旅団(善通寺)  第六四師団(華中)
 独立混成第十三旅団(熊本)  第六五師団(華中)
昭和19年編成  独立混成第四六旅団(台湾)  第六六師団(台湾)
編成時期によって、師団番号が飛んでいるのが分かるだろうか。昭和17年の編成師団が第五八師団〜第六十師団と第六八師団〜第七十師団となっており、第六一師団〜第六七師団までが昭和18年以降の編成となっている。これは当初、第六一〜六七独立歩兵団を師団に改編する予定だった為である。ところが予定通り師団編成出来たのは第六一独立歩兵団だけであり、残りは改編が遅れ、そのまま四十番台師団へと改編することなった。そこで昭和18年以降に師団に改編することとなった師団に、空白となっていた師団番号が充てられることとなったのである。(第六七師団は欠番)

また上記師団編成とは別に治安維持目的として満州東部を担当する第七一師団も編成された。



本土兵備強化師団 〜第七十番台・第八十番台・第九十番台師団〜
昭和17年及び昭和19年〜昭和20年2月にかけて編成された師団であり、本土の兵備増加計画によって編成された師団である。
上記にて既に第七十師団・第七一師団は編成されており、また基幹となった師団番号に併せて師団番号を付けた為、欠番も多い。実際に編成された師団数は下記の13個師団だけである。
これらの師団は内地の他に樺太・千島・朝鮮半島北部・済州島といった地域に分散配備された。
一部の師団では各実施学校教導部隊から引き抜いて編成された部隊もあり、これら師団の中でも質・量ともに優秀な部隊も存在した。
基幹師団 新編師団
 留守第二師団(仙台)   第七二師団(仙台)
 留守第三師団(名古屋)  第七三師団(名古屋)
 留守第七師団(北海道)  第七七師団(旭川)
 留守第十九師団(羅南・朝鮮)
 留守第二十師団(龍山・朝鮮)の一部
 第七九師団(羅南)
 留守第五一師団(宇都宮)  第八一師団(宇都宮)
 留守第五四師団(姫路)  第八四師団(姫路)
 留守第五六師団(久留米)  第八六師団(久留米)
 樺太混成旅団  第八八師団(樺太)
 第七七歩兵団
 独立混成第四三旅団
 独立混成第六九旅団
 第八九師団(札幌)
 千島第一守備隊  第九一師団(千島)
 第五二師団(金沢)
 陸軍歩兵学校・工兵学校
 第九三師団(金沢)
 独立第十二守備隊
 独立第十八守備隊 他
 第九四師団(マレー)
 留守第二十師団(龍山・朝鮮)
 留守第三十師団(平壌)
 第九六師団(京城)



フィリピン防衛部隊の増強師団 〜第一〇〇番台師団〜
昭和19年、マリアナ諸島陥落により、連合国軍次の侵攻に備える為に、現地の独立混成旅団及び守備隊を師団に昇格させ、兵力増強を狙った師団。
昭和11年の『軍備充実計画』の際に編成、後に廃止された師団の番号を避けて編成されたが、第一〇八師団・第一〇九師団に関しては復活となった。
また満州に配備してあった師団の南方配備に伴い、穴埋めとして第一〇七師団・第一〇八師団が編成された。
師団編成は治安維持師団である第六十番台師団とほぼ同様の編成であったが、師団砲兵に関しては数も少なく、名ばかりであったという。
基幹部隊 新編師団
 独立混成第三十旅団  第一〇〇師団(ミンダナオ島)
 独立混成第三一旅団  第一〇二師団(ビザヤ諸島)
 独立混成第三二旅団  第一〇三師団(ルソン島)
 独立混成第三三旅団  第一〇五師団(ルソン島)
 アルシャン駐屯隊
 独立混成第七連隊
 第一〇七師団(満州)
 第九独立守備隊(満州)  第一〇八師団(満州)
 父島要塞守備隊  第一〇九師団(小笠原)



昭和19年の大陸・満州方面増設師団 〜第一一〇番台師団〜
マリアナ諸島陥落後の昭和19年7月に編成が下令された師団。当初は砲兵連隊を装備していないが、後に追加された部隊も存在する。
元々満州・華北に配備されていた師団が南方に転出された為、現地守備隊と転出した師団の残留部隊等によって編成された師団である。尚、特設師団として編成された後、常設化された師団に第一一〇番台師団が存在する(第一一〇師団・第一一六師団)が、存在するが、これらの師団は任務・編成上性格が異なる師団である。
第一二〇師団は性格上、第一一〇番台師団に該当する。
基幹部隊 新編師団
 第九独立守備隊  第一一一師団(満州)
 第九独立守備隊
 第二八師団(満州)残留隊
 第一一二師団(満州)
 独立混成第七旅団  第一一五師団(華北)
 独立歩兵第四旅団  第一一七師団(華北)
 独立歩兵第九旅団  第一一八師団(華北)
 第八国境守備隊
 第二三師団(熊本)残留隊
 第一一九師団(満州)
 第十二師団(久留米)残留隊  第一二〇師団(満州)



関東軍の現地編成師団 〜第一二〇番台・第一三〇番台師団〜
昭和20年2月〜に満州の関東軍指揮下で編成された師団である。
第一二〇番台師団
は昭和20年1月16日付けで発令された新設8個師団であり、第一一〇番台師団同様に南方に転出して行った師団の穴埋めとして編成された師団である。当初は砲兵部隊の戦力が名ばかりの3個中隊程度しか配備されていなかったが、後半は野砲兵連隊に改編する師団が増えた。だが師団兵員12,000人〜15,000人程度であったが、質量ともに劣っていた。
尚、第一二九師団は後述する第一三〇番台師団に該当する。
第一三〇番台師団は中支・南支で編成された師団と、満州で編成された師団であり、満州で編成された6個師団は所謂根こそぎ師団である。
基幹部隊 新編師団
 第二八師団(満州)残留者  第一二一師団(満州)
 第四国境守備隊
 第十一師団(善通寺)残留者
 第一二二師団(満州)
 独立混成第七三旅団
 第一師団(東京)残留者
 第一二三師団(満州)
 第一一一師団(満州)残留者  第一二四師団(満州)
 各国境守備隊・残留者  第一二五師団(満州)
 第十二国境守備隊
 第二五師団(満州)
 第一二六師団(満州)
 第九国境守備隊  第一二七師団(満州)
 第一、二、十一国境守備隊の一部
 第一二〇師団(満州)の残留者
 第一二八師団(満州)
 独立混成第十九旅団  第一二九師団(華南)
 第一三〇師団(華南)
 (武漢地区周辺の部隊)  第一三一師団(華南)
 第三九師団(広島)の残留者
 第六八師団(華中)の残留者
 第一三二師団(華中)
 第六三師団(華北)の残留者
 第七十師団(華中)の残留者
 第一三三師団(華中)
 第十四国境守備隊
 独立混成第七八旅団
 富錦駐屯隊
 (満州で召集された邦人男子)
 第一三四師団(満州)
 第二、第四国境守備隊
 第四六兵站警備隊
 独立混成第七七旅団
 (満州で召集された邦人男子)
 第一三五師団(満州)
 (満州で召集された邦人男子)  第一三六師団(満州)
 (満州で召集された邦人男子)  第一三七師団(満州)
 (満州で召集された邦人男子)  第一三八師団(満州)
 第七七兵站警備隊
 第七九兵站警備隊
 第八〇兵站警備隊
 (満州で召集された邦人男子)
 第一三九師団(満州)



本土決戦第一次兵備 沿岸張付け師団 〜第一四〇番台・第一五〇番台・第一六〇番台師団〜
昭和20年2月、本土決戦用の第一次兵備計画によって編成された16個師団であり、本土・朝鮮半島沿岸に張付き、敵上陸部隊を拘束することを目的とした師団である。4個歩兵連隊が基本であり、3個連隊が敵上陸部隊を拘束し、1個連隊が機動力を生かして反撃するというのが基本方針である。また沿岸に張付いて配備され、敵上陸部隊の来襲に備える為、師団に捜索部隊は配備されなかった。
また砲兵部隊も野砲部隊・山砲部隊ではなく、速射砲部隊が配備されて編成されたが、後に師団砲兵隊や噴進砲隊が配備された。
本土決戦師団(第一次兵備)
沿岸張付け師団
本土沿岸張付け師団  第一四〇師団(東京)
 第一四二師団(仙台)
 第一四三師団(名古屋)
 第一四四師団(大阪)
 第一四五師団(広島)
 第一四六師団(熊本)
 第一四七師団(旭川)
 第一五一師団(宇都宮)
 第一五二師団(金沢)
 第一五三師団(京都)
 第一五四師団(広島)
 第一五五師団(善通寺)
 第一五六師団(久留米)
 第一五七師団(弘前)
朝鮮半島沿岸張付け師団
(臨時動員)
 第一五〇師団(京城)
 第一六〇師団(平壌)

本土決戦第二次兵備 機動師団 〜第二〇〇番台・第二一〇番台師団〜
昭和20年4月に編成された第二次兵備計画の中核となる本土決戦用機動兵団である。当初は決戦師団と称されたが、後に機動師団と改められた。その為要員は常設師団が編成を担当し、沿岸配備師団に比べても現役の要員が多かった。
歩兵3個連隊に砲兵連隊(野砲もしくは山砲)、迫撃砲連隊、師団速射砲隊、師団機関砲隊で編成され、方面軍直轄部隊として配備された。
基幹部隊 新編師団
 留守第一師団(東京)  第二〇一師団(東京)
 留守第二師団(仙台)  第二〇二師団(仙台)
 留守第五師団(広島)  第二〇五師団(広島)
 留守第六師団(熊本)  第二〇六師団(熊本)
 留守第五二師団(金沢)  第二〇九師団(金沢)
 留守第五六師団(久留米)  第二一二師団(久留米)
 留守第五一師団(宇都宮)  第二一四師団(宇都宮)
 留守第五三師団(京都)  第二一六師団(京都)



本土決戦第三次兵備 本土決戦用根こそぎ動員師団 〜第二二〇番台・第二三〇番台師団〜
昭和20年5月に編成された第三次兵備計画の臨時動員された師団の内、第二次動員部隊である機動師団と同様の編成であったが、質・量共に見劣りする師団であった。編成の都合上、根こそぎ動員であった為に存在した問題を多く抱えていた為、動員後に徐々に装備を充実し、教育していく予定であった。
 第二二一師団(長野)  第二三〇師団(東京)
 第二二二師団(弘前)  第二三一師団(広島)
 第二二四師団(広島)  第二三四師団(東京)
 第二二五師団(大阪)
 第二二九師団(金沢)



本土決戦第三次兵備 沿岸張付け師団 〜第三〇〇番台師団〜
昭和20年5月に編成された第三次兵備計画の臨時動員された師団の内、沿岸配備師団にあたる部隊である。第一次動員たる第一四〇〜一六〇番台師団に比べると質・量共に見劣りする師団であった。充足率も低く、編成途上で終戦を迎えた師団もあった。
本土沿岸張付け師団  第三〇三師団(名古屋)
 第三〇八師団(弘前)
 第三一二師団(久留米)
 第三一六師団(京都)
 第三二一師団(東京)
 第三二二師団(仙台)
 第三四四師団(善通寺)
 第三五一師団(宇都宮)
 第三五四師団(東京)
 第三五五師団(姫路)
朝鮮半島沿岸張付け師団  第三二〇師団(京城)



その他の師団 陸軍最後の動員部隊
上記動員計画とは別に、終戦間際の昭和20年7月・8月に中国で動員された最後の師団である。その為、動員後戦闘に参加することなく、陣地構築中、または編成未了状態で終戦を迎えた。
また第一六一師団は昭和20年4月に中国戦線に展開していた部隊を改編した際に新編された。
基幹部隊 新編師団
 第六二兵站警備隊
(満州で召集された邦人男子)
 第一四八師団(満州)
 第五、第六、第七国境守備隊  第一四九師団(満州)
 下士官候補隊
 幹部候補生教育隊
(除:教育訓練中の幹部候補生・下士官候補)
 第一五八師団(満州)
 各独立歩兵大隊
 独立混成第六二旅団後方部隊
 第一六一師団(華中)