セイロン島空襲作戦
[1942/4/5〜9]



 
陸軍のビルマ攻略作戦に対する支援作戦の一環として行われた空母機動部隊によるインド洋機動作戦である。
開戦劈頭に行われたマレー沖海戦で主力として送り込まれた戦艦『プリンス・オブ・ウェールス』『レパルス』の2隻を失った英東洋艦隊は大幅な増強を行った。
戦艦5隻・空母3隻という強力な艦隊であり、ビルマ攻略を目前に控えた日本軍にとって、無視するにはあまりにも強大であった。
そのため今や海軍の主力となった南雲中将率いる空母機動部隊による英東洋艦隊撃滅とその根拠地であるセイロン島を空襲して無力化しようとしたのである。

日本側の参加兵力と英東洋艦隊の艦隊戦力は以下の通りである。

[日本海軍]第一航空艦隊(司令長官:南雲忠一中将
   第一航空戦隊 空母『赤城』(『加賀』欠)
第二航空戦隊 空母『蒼龍』『飛龍』
第五航空戦隊 空母『翔鶴』『瑞鶴』
第三戦隊 戦艦『金剛』『比叡』『榛名』『霧島』
第八戦隊 重巡『利根』『筑摩』
第一水雷戦隊 軽巡『阿武隈』
   第十七駆逐隊 駆逐艦『谷風』『浦風』『浜風』『磯風』
第十八駆逐隊 駆逐艦『陽炎』『不知火』『霞』『霰』

この艦隊は3月21日、スターリング湾を出撃し、インド洋に進出する予定であった。
また当初参加予定であった第一航空戦隊所属の空母『加賀』がパラオで暗礁に接触、船体が傷ついたため本土に引き上げている。
その上、本土からスターリング湾目指していた第五航空戦隊が遅れていたため当初の予定が延び、実際に出撃出来たのは26日になってからであった。
しかしこの遅れが後に運命を変える結果となった。

南雲機動部隊はジャワ島南方海域からスマトラ南西方面を経由してインド洋に進出、英東洋艦隊の根拠地セイロン島に向かった。
一方この機動部隊によるインド洋作戦を事前に察知していた連合国側は米国経由で英東洋艦隊司令長官ジェームズ・ソマーヴィル大将に警告。東洋艦隊は艦隊をセイロン島から脱出させモルジブ諸島南端に位置するアッズ諸島に退避させていた。

この当時の英東洋艦隊の戦力は以下の通りである。

[英海軍]東洋艦隊(司令長官:ジェームズ・ソマーヴィル大将)
  戦艦 『ウォースパイト』『レゾリューション』『ラミリーズ』『ロイヤル・サブリン』『リベンジ』
空母 『インドミタブル』『フォーミタブル』『ハーミズ』
重巡 『コーンウォール』『ドーセットシャー』
軽巡 『エンタープライズ』『エメラルド』『カレンド』『ドラゴン』『ヤコブ・ヴァン・ヘームスケルク(蘭)』
駆逐艦 『ネイピア』『ネスター』『フォックスハウンド』『ホットスパー』『パラディン』『パンサー』『グリフィン』『ノルマン』『アロー』『デコイ』『フォーチュン』『スカウト』『バンパイア』
『イサック・スウェア(蘭)』『テネドス』

3月末に英東洋艦隊司令長官に就任したソマーヴィル大将は一旦アッズ諸島に退避した上で反撃を計画していた。
このアッズ諸島の存在は日本軍には秘匿され続け、敗戦まで日本軍は存在を知らなかった。
4月1日頃にコロンボ空襲があるだろうと判断したソマーヴィル大将はその前に空母艦載機による夜間雷撃を行う予定であった。
しかし予定が遅れていた日本艦隊は作戦の延期を行っている。
4月1日も、その翌日にも英東洋艦隊の索敵網に引っかかる事はなかった。この為作戦自体が誤報か、作戦延期かと判断したソマーヴィル大将は艦隊の補給の為アッズ環礁への一時帰還を決定した。
ただし艦隊の内重巡『ドーセットシャー』は修理の為コロンボに、重巡『コーンウォール』は輸送船団護衛のため艦隊を離れる。さらに空母『ハーミス』もマダガスカル島攻略作戦準備の為ツリンコマリー港に向かった。

一方当初の予定より送れてセイロン島に接近した南雲機動部隊は4月4日1855時に英軍の飛行艇に接触を受ける。
飛行艇は直衛隊の零戦によって撃墜されたが艦隊が発見されたのは確実であった。
これにより英軍による反撃が予想されたが、南雲機動部隊は当初の予定通り4月5日のコロンボ空襲を予定通り行う事を決定した。

この通報を受けたソマーヴィル大将は、アッズ諸島で補給中だった艦隊のうち、高速部隊(戦艦『ウォースパイト』空母『インドミタブル』『フォーミタブル』を基幹)を補給後に出撃させた。



4月5日の戦闘記録は以下の通り。
0900  空母艦載機部隊(総指揮官:淵田美津雄中佐 零戦36機・九九艦爆38機・九七艦攻52機)はセイロン島南方200海里から出撃。
1045 コロンボ空襲を開始
英空軍の迎撃を受けたが比較的軽微な損害で空襲に成功、湾内に残る艦艇と港湾施設に対し攻撃を加えた。
1128 戦果不十分と考えた淵田中佐は第2次攻撃隊を準備されたしと艦隊に向けて打電
1152 艦隊司令部では英東洋艦隊を発見した際に攻撃するように待機させていた攻撃隊の内、魚雷を搭載していた九七艦攻を爆装への転換命令を指示
1300 重巡『利根』搭載の水上偵察機が英重巡『ドーセットシャー』『コーンウォール』を発見・艦隊に報告
この報告を受けた南雲中将はコロンボ空襲を予定していた第2次攻撃隊の九七艦攻に再び雷装への兵装転換を命令
1325 コロンボ空襲を終えた攻撃隊が空母へ帰還
1449 第2次攻撃隊予定機の内、九九艦爆53機を発見した重巡攻撃へと発艦
1554 艦爆隊は英重巡を発見、攻撃開始わずか20分で2隻を撃沈した。
この時点で英東洋艦隊は南雲機動部隊から南西160海里の地点にあり、索敵を行っていた。
1909 南雲機動部隊の護衛艦艇が英軍機を発見。
1929 零戦6機による邀撃が行われ、発見した2機のソードフィッシュの内1機を撃墜。
 
この撃墜した英軍機が空母艦載機であった為、付近に英空母が存在すると考えた南雲中将は海域からの離脱を行う。
警戒を強めつつ英軍の哨戒圏を迂回しつつ北上、次の目的地であるセイロン島北東部のツリンコマリー軍港を目指す。
一方ソマーヴィル大将は南雲機動部隊を発見できず、捕捉を断面した。
8日にはアッズ諸島に帰還している。



一旦英軍哨戒圏外に退避した南雲機動部隊は再びセイロン島に接近、4月9日にツリンコマリー攻撃を開始した。
0900  ツリンコマリー攻撃隊(総指揮官:淵田美津雄中佐 零戦41機・九七艦攻91機)が発艦
1030 ツリンコマリー攻撃開始
停泊中の艦戦数隻と飛行場・港湾施設を攻撃したが、めぼしい目標はなかった。
1055 戦艦『榛名』搭載の水上偵察機が索敵中に英空母『ハーミス』を発見
1143 英空母『ハーミス』攻撃の為に九九艦爆85機を含む攻撃隊を発艦
1230 ツリンコマリー攻撃隊、帰艦
1330 英空母『ハーミス』発見
1335 英空母『ハーミス』攻撃開始
攻撃開始僅か15分で『ハーミス』を撃沈。
残った艦爆隊は『ハーミス』を護衛していた駆逐艦『バンパイア』と付近のコルベット艦1隻、タンカー1隻を攻撃・撃沈した。
また『ハーミス』攻撃とほぼ同時刻に南雲機動部隊は英空軍のブレニム爆撃機による攻撃を受けた。
 
このブレニム爆撃機9機による中高度(4,000m)からの爆撃であったが、艦隊側ではこれに気付いておらず、突然の空襲であった。
この爆撃は外れたが、着弾するまで対空砲火さえ撃つ事が出来なかったという。
直ちに発艦した零戦により5機が撃墜されたが、爆撃機を発見する事すら出来ず、爆撃を許してしまった事は誉められたものではなかった。

また一連の攻撃によって証明された九九艦爆隊の爆撃命中率は凄まじいものであった。
重巡『ドーセットシャー』『コーンウォール』爆撃時の命中率は88%、空母『ハーミス』爆撃時の命中率は82%であり、驚異的な命中率を記録した。当時の急降下爆撃では訓練でさえこのような命中率は達成できないのが世界の急降下爆撃における評価であった。

ただこの戦果に喜んだ艦隊司令部はいくつかの対策を怠った。
敵艦隊発見の際の兵装転換の不手際であり、防空態勢の不備・索敵の不備である。
これを反省し、改善する事を怠ったのである。
なによりも洋上で敵艦載機を発見したにも関わらず、英空母を索敵を怠った件は最低であった。そして兵装転換の不手際や、貴重な戦訓を生かすことなく・・・
このツケが後日高くついたことは言うまでも無いことであった・・・ミッドウェイで・・・



この戦いで英海軍は低速戦艦が無用の長物であったと思い知らされた。
広大な海域での戦い、空母を中心とする機動作戦には低速の戦艦群では対処出来なかったのである。
この為英国海軍省はソマーヴィル大将に勧告し、低速戦艦4隻(『レゾリューション』『ラミリーズ』『ロイヤル・サブリン』『リベンジ』)をインド洋から引き上げさせた。艦隊戦が殆ど行われない東アフリカに配置換えしたのである。






ベンガル湾機動作戦

またこの作戦期間には南雲機動部隊以外の部隊も参加している。
小沢治三郎中将指揮する馬来(マレー)部隊である。
  空母 『龍驤』
重巡 『鳥海』『最上』『三隅』『鈴谷』『熊野』
軽巡 『由良』
駆逐艦 『天霧』『夕霧』『白雲』
以上の艦艇を擁する艦隊であり、4月1日〜11日にベンガル湾での通称破壊作戦に従事している。
連合軍艦隊との交戦は無かったものの、商船21隻撃沈、8隻大破という戦果を上げ、ビルマ攻略作戦の支援を行っている。