帝国陸軍 戦車連隊(2)

  戦車第十連隊
通称号 撃一二〇九八部隊
編成 昭和15年3月1日
編成地 ハルビン
最終時の上級部隊と配置
戦車第二師団 リンガエン湾サンニコラス
解説 戦車第五連隊戦車第九連隊から抽出した要員を基幹として編制し、編制当初は東安に駐留していた。
昭和17年6月、新設された戦車第二師団・戦車第四旅団に配属される。
昭和19年7月、南方への戦力抽出により釜山経由でフィリピン・ルソン島に向かう。連隊主力はサンフェルナンドに上陸したが、第二中隊は乗船した輸送船(
千早丸 津山丸)がバシー海峡で撃沈した為将兵1/3を失った。また第五中隊も戦車の全てを失った。
10月、ルソン島中部の渋るスプリングに集結し再編制。第一中隊はレイテ島に派遣された。
昭和20年1月、リンガエン湾に上陸した米軍と対し、サン・ニコラスに展開して迎撃態勢を敷いた。だが火力の劣勢はどうしようもなく、1ヶ月で戦車の殆どを失った。以後歩兵戦闘に移行したが、連隊は壊滅状態となった。

  戦車第十一連隊
通称号 先四九七部隊
編成 昭和15年3月1日
編成地 斐徳(満州)
最終時の上級部隊と配置
千早丸 占守島(北千島)
解説 戦車第五連隊戦車第九連隊から抽出した要員を基幹として編制し、第二戦車団、そして戦車第二師団の隷下に入った。
昭和19年2月、戦車第二師団の隷下を離れ、北千島に派遣が決定した。小樽に集結し、一部は幌延島・松輪島・得撫島に分散して駐留したが、主力は占守島に駐留した。
昭和20年8月、ソ連参戦。18日には武装解除の準備をしていた日本側の停戦交渉に応じることなく砲撃を加え上陸してきたソ連軍と戦闘状態に陥いった。僅か1日の戦闘ではあったが連隊は大損害を受け、翌19日に停戦協定が成立した。
停戦後、連隊はウラジオストックに送られた。

  戦車第十二連隊
通称号 築一四〇八部隊
編成 昭和14年10月28日
編成地 北支
最終時の上級部隊と配置
第十七軍 京城
解説

  戦車第十三連隊
通称号 滝五五〇九部隊
編成 昭和14年11月30日
編成地 漢口
最終時の上級部隊と配置
戦車第三師団 北京
解説 第二・第六・第七独立軽装甲車中隊を母体に編制。昭和14年12月〜昭和15年2月まで中支方面における作戦の殆どに参加、その後宣撫作戦、漢水作戦、予南作戦、第一次長沙作戦、確山作戦、第二次長沙作戦と昭和17年1まで転戦を重ねた。
その後京漢沿線地区掃討作戦、ベン陽作戦、浙カン作戦、に参加。
昭和18年5月からは江南殲滅作戦に参加。その後は漢口から厚和に移動して同地の警備に従事し、続いて平地泉警備に任じた。
大陸打通作戦では京漢作戦、霊員地区会戦、湘桂作戦に参加。後は終戦まで湖南省特別警備に当たる。
終戦後も昭和21年4月まで北京城内の警備に任じ、中国第九二軍の要請によって中国装甲総隊に対して戦車教育を実施する。その間内蒙古に侵入したソ蒙軍に対し、駐蒙軍が行った居留民を北京に引き上げる援護作戦に参加する。
連隊の復員完結は昭和21年5月20日であった。
戦車第十三連隊は全期間を中国大陸で作戦した稀有な連隊と言える。

  戦車第十四連隊
通称号 森八九九三部隊
編成 昭和14年11月10日
編成地 広東
最終時の上級部隊と配置
第十八師団 ピリレ
解説 太平洋戦争開戦前の昭和16年7月から行われた南部仏印進駐作戦に参加。その後開戦により仏印国境を通過してバンコクに移動し同地の警備に就く。昭和17年1月よりマレー作戦に参加したが19日のバクレの戦いにおいて第三中隊が全滅の危機に陥いった。(ほぼ全滅) その後シンガポール攻略戦に参加しプギテマ高地の戦いで活躍した。
昭和17年4月、第五六師団に配属され、北部ビルマに転戦し、ビルマ方面軍唯一の戦車部隊として活躍する。また装備の一部は鹵獲した米軍のM3軽戦車であった。
昭和19年3月、インパール作戦時に第三三師団に配属されテクノパール攻略戦に参加。5月には反転してケネデピークを超えてインパール平地に侵入した。6月5日にはニンソウコンに進出し攻撃したが作戦は進展せず、7月8日師団は攻略を断念した。
歩兵2個大隊と共に井瀬支隊を編制、師団の後退援護任務に就くが井瀬連隊長の戦死をはじめ連隊は壊滅的打撃を受ける。後退した戦車は僅か4両でしかなかった。
昭和20年2月、イラワジ河南岸の戦闘。そしてメークラーテの戦闘で相沢連隊長戦死。3月マンダレー街道を後退しラングーンに向かう途中交戦状態となり全ての戦車を失った。
その後ピリレに集結を図ったが再起不能となり、そのまま終戦を迎えた。

  戦車第十五連隊
通称号 定五九三二部隊
編成 昭和15年12月14日 第一師団戦車隊として編制
昭和17年6月24日 戦車第十五連隊に改編
編成地 孫呉
最終時の上級部隊と配置
第二九軍 カールニコバル島
解説 昭和18年1月、

  戦車第十六連隊
通称号 備七五九一部隊
編成 第二三師団戦車隊として編制
昭和17年6月24日 戦車第十六連隊に改編
編成地 久留米
最終時の上級部隊と配置
独立混成第十三連隊 ウェーク島
解説 ハイラルで編制された連隊は昭和19年1月にウェーク島に移動。6月より独立混成第十三連隊に編合され、同島防衛任務に従事したまま終戦を迎えた。また連隊の一部は南鳥島に上陸し、同島で終戦を迎えている。

  戦車第十七連隊
通称号 滝一四五〇部隊
編成 昭和17年8月20日
編成地 津田沼
最終時の上級部隊と配置
戦車第三師団 天津
解説

  戦車第十八連隊
通称号 躍一二五三二部隊
編成 昭和17年6月24日
編成地 久留米
最終時の上級部隊と配置
独立戦車第五旅団 宮崎県綾町付近
解説 戦車第一連隊補充隊を母体として編制される。
昭和20年、本土防衛任務として九州防衛に就く。

  戦車第十九連隊
通称号 鑿一二四四九部隊
編成 昭和17年6月24日
編成地 青野ヶ原
最終時の上級部隊と配置
独立戦車第四旅団 久留米
解説 戦車第六連隊補充隊を母体として編制される。
昭和20年、本土防衛任務として九州防衛に就く。