1月12日 第二次玄作戦

人間魚雷『回天特別攻撃隊』
アドミラルチー諸島・フンボルト湾・グァム島・ウルシー・コッソル水道にて米停泊艦船を攻撃
  

3月10日 完二号作戦

ビルマ方面
における第二八軍の作戦であり、第十五軍のイラワジ会戦に策応し、同会戦の一環としてビルマ・バゼイン方面での決戦を目的とした作戦。
 

3月11日 第二次丹作戦

第五航空艦隊によるウルシー泊地の米艦隊攻撃作戦。
二式大艇により誘導された梓特別攻撃隊(762空 陸爆『銀河』24機)による九州・鹿屋基地から飛行距離2930kmの彼方にあるウルシー泊地に停泊中の米艦隊攻撃作戦。
戦果は米空母『ランドルフ』損傷(大破)。そして作戦に参加した24機全てが失われた。
 

3月13日 光一号作戦

光作戦:中国沿岸部における戦備強化作戦であり、光一号作戦は華南方面沿岸部における戦備強化を示す。
   

3月16日 栗林兵団長の決別電

胆参電第427号 3月16日1725
硫黄島発父島経由 参謀総長宛
戦局 最期の関頭に直面せり、敵来攻以来、麾下将兵の敢闘は真に鬼神を哭しむるものあり。
特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し、宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは、小職自ら聊か悦びとする所なり。
然れども飽くなき敵の猛攻に相次いで斃れ、為に御期待に反し此の要地を敵手に委する外なきに至りしは、小職の誠に恐懼に堪えざる所にして幾重にも御詫申し上ぐ。
今や弾丸尽き水涸れ、全員反撃し最後の敢闘を行わんとするに方り、熟々皇恩を思い、粉骨砕身も亦悔いず、特に本島を奪還せざる限り、皇土永遠に安からざるに思い致り、たとへ魂魄となるも誓って皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す。
茲に最後の関頭に立ち、重ねて衷情を披瀝すると共に、只管皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ永へに御別れ申し上ぐ。
尚父島、母島等に就ては同地麾下将兵如何なる敵の攻撃をも断呼破砕し得るを確信するも、何とぞ宜しく御願い申し上ぐ。
終わりに左(下)記駄作御笑覧に供す。何とぞ玉斧を乞う。
 
国ノ為重キツトメヲ果タシ得デ 矢弾尽キ果テ散ルゾ悲シキ
仇討タデ野辺ニ朽チジ吾ハ又 七度生レテ矛ヲ執ラムゾ
醜草ノ島ニ蔓ルソノ時ノ 皇国ノ行手一途ニ思ウ
  
管理人注: 文体をカタカナをひらがなに変換、数字を変換、句読点を追加、改行その他を行い、多少なりとも読みやすいようにしてあります。

3月20日 老河口作戦

老河口付近の飛行場覆滅作戦。
3月20日、第三四軍 第三九師団湖北省荊門北方地区より攻勢を開始。漢水地区を北進し、襄陽と毅城一部を攻撃占領。
3月21日、第十二軍が作戦に参加。また第五航空軍も作戦協力にあたることとなった。
  

3月28日 プリアカ作戦

中部ソロモン諸島・ブーゲンビル島では陸軍第十七軍とオーストラリア陸軍のと戦いが続いていた。
ブーゲンビル島を南下してくるオーストラリア軍第29旅団(その交代した第7旅団)に対し、反撃作戦を取るべく、歩兵第十三連隊及び歩兵第二三連隊がプリアカ川(トロキナとブインの中間付近)にて一斉攻撃を行った。
だが作戦は失敗し、戦死傷者1600名を数えた。
  

3月29日 陸軍召集規則改正

召集規則の改正により、日本内地及び外地を問わず、満17歳、18歳の青年を全員防衛召集、臨時召集可能となった。
  



4月8日 『決戦訓』示達

沖縄戦突入により全軍の士気を鼓舞し、特攻も辞さずと配布された『決戦訓』
以下に全文を記載する。

本訓を皇土決戦に於ける将兵の訓とすべし
昭和二十年四月八日 陸軍大臣 阿南惟幾

決戦訓
仇敵撃滅の神機に望み、特に皇軍将兵に訓ふる所左の如し。

一、皇軍将兵は神勅を奉戴し、愈々聖諭の遵守に邁進すべし。
聖諭の遵守は皇国軍人の生命なり。
神州不滅の信念に徹し、日夜聖諭を奉誦して之が服行に精魂を尽くすべし。必勝の根基茲に存す。
 
二、皇軍将兵は皇土を死守すべし。
皇土は天皇在しまし、神霊鎮まり給ふの地なり。
誓つて外夷の侵襲を撃攘し、斃るるも尚魂魄を留めて之を守護すべし。

三、皇軍将兵は待つ有るを恃むべし。
備有る者は必ず勝つ。
必死の訓練を積み、不抜の城塁を築き、闘魂勃々、以て滅敵必勝の備を完うすべし。

四、皇軍将兵は体当り精神に徹すべし。
悠久の大義に生くるは皇国武人の伝統なり。
挙軍体当り精神に徹し、必死敢闘、皇土を侵犯する者悉く之を殺戮し、一人の生還無からしむべし。

五、皇軍将兵は一億戦友の先駆たるべし。
一億同胞は総て是皇国護持の戦友なり。
至厳なる軍紀の下、戦友の情誼に生き、皇軍の真姿を顕現して率先護国の大任を完うすべし。

右の五訓、皇軍将兵は須く之を恪守し、速かに仇敵を撃滅して、宸襟を安んじ奉るべし。

管理人注: 文体をカタカナをひらがなに変換、数字を変換、句読点を追加、改行その他を行い、多少なりとも読みやすいようにしてあります。


4月19日 『戦力会議』の設置

最高戦争指導会議で『国家船舶及び港湾一元運営実施要綱』が決定された。
これにより海上輸送力を確保する為の船舶及び港湾を一元運営することとなり、その運営のために『戦力会議』とよばれる組織が大本営に付設されることとなった。
だが既に南方からの海上輸送路は崩壊・途絶しており、時既に遅しであった。なによりもこのような組織は開戦前に立ち上げておくべきものであった。
   

5月6日 Uボート接収

ドイツ第三帝国降伏により来日(スラバヤ在泊)中のUボートが日本海軍に接収された。
 U-181・U-862・U-219・U-195(元独海軍潜水艦)
 UIT24・UIT25(元伊海軍潜水艦を独海軍が接収)
以上6隻の独潜水艦を接収。いずれも後日(7月15日付け)戦時編制に編入された。その際に艦名が変更され、各艦は以下のように変更されている。
 U-181 → 伊号五〇一潜水艦
 U-862 → 伊号五〇二潜水艦
 UIT24 → 伊号五〇三潜水艦
 UIT25 → 伊号五〇四潜水艦
 U-219 → 伊号五〇五潜水艦
 U-195 → 伊号五〇六潜水艦
  

5月7日 第三次丹作戦

第五航空艦隊によるウルシー泊地の米艦隊攻撃作戦。
二式大艇により誘導された梓特別攻撃隊(762空 陸爆『銀河』12機)による九州・鹿屋基地から飛行距離2930kmの彼方にあるウルシー泊地に停泊中の米艦隊攻撃作戦だったが、作戦失敗。
   

6月8日 重巡『足柄』戦没

駆逐艦『神風』と共に陸軍部隊を輸送中に英潜『トレチャント』の雷撃を受け戦没。
バタビアからシンガポールに向け航行中、スマトラ島西岸のバンガ島との間にあるバンガ水道にて雷撃を受ける。魚雷5本を受け戦没した。
乗員及び輸送中の陸軍部隊のうち、1250名程が随伴していた駆逐艦『神風』によって救出されている。
    

6月19日 地方海軍部令を制定

本土決戦に備え、大湊・東北・北陸・四国・九州の各地方海軍部を設置。それぞれの所在地管轄の鎮守府・警備府に所属する。
  
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