帝國海軍の哨戒艇





第一号型・三一号型・三二号型・四六号型
旧一等駆逐艦『島風』『灘風』を改造(1940年改造)したものが本級である
魚雷発射菅と2門の主砲を撤去し、後甲板を改造して大発を2隻搭載している。
陸戦隊250名を載せ、揚陸戦に参加する。揚陸作戦時以外には船団護衛任務に転用できるように大発の変わりに爆雷を搭載できるようになっている。

1号型に続いて旧2等駆逐艦からも樅級9隻と若竹級1隻が哨戒艇籍に編入されている。
ただし、31・46号艇は大発搭載設備の改造は行っていない。
32号艇〜39号艇は大発1隻搭載。
40号艇〜45号艇は欠番である。これは若竹級全艦を移行予定であったが、先行した6番艦『夕顔』のみが移行しただけで開戦となったためである。



第一号型の要目 第三一・三二・四六号型の要目
基準排水量 1,270t 1,162t
全長(L) 99.8m 85.34m
水線長(W.L) 97.54m 83.82m
最大幅(B) 8.9m 7.93m
主機 ディーゼル2基2軸
19,250馬力
ディーゼル2基2軸
10,000馬力
速力(K.NT) 20ノット 18ノット
武装 主砲 12p単装砲*2基 12p単装砲*2基
機銃 25o連装*3基 25o連装*1基
爆雷 投射機*1基 投射機*1基
同型艦 2隻 13号型:1隻
32号型:8隻
46号型:1隻




(各艦の戦歴)






第一号型哨戒特務艇
大戦中、洋上警戒用として多数用いられた特設監視艇・・・これは漁船を徴用して機銃と通信機だけを搭載したものであった。これらの監視艇はドゥーリットル空襲の際に米機動部隊を発見したりもしたが、その貧弱な装備といい、およそ戦闘に向かない船であったりして、消耗が増大する一方であった。
その為昭和18〜19年の計画で大量の哨戒特務艇を建造することとなった。
ただし、船体は今までの徴用漁船となんら代わることの無い、急造の木造漁船方式のものであった。
建造は地方の木造造船所で行われ、16箇所の造船所が建造に従事したが、兵装は全て海軍工廠で実施した。37隻が完成したが20隻が未成艦であり、他に建造中止したものが150隻ほどあった。



第一号型哨戒特務艇の要目
基準排水量 238t
全長(L) 29.8m
水線長(W.L) 28.5m
最大幅(B) 6.2m
主機 ディーゼル1基単軸
400馬力
速力(K.NT) 9.3ノット
武装 機銃 25o単装*2基
13o単装*3基
爆雷 8発
同型艦 37隻(他に20隻が未成艦・150隻が建造中止




(各艦の戦歴)






捕獲哨戒艇
開戦時の香港攻略戦を始め、各地で捕獲した艦艇を整備して哨戒艇として利用したのがこれらの哨戒艇である。101号艇から109号艇までの9隻が哨戒艇として戦時中に従事した。



101号艇

開戦時に香港攻略戦で擱座していた英国駆逐艦『スラシアン』である。香港の第二工作部が整備して哨戒艇として運用された。
本土沿岸の船団護衛に従事した後、昭和19年3月に雑役船として第1号練習艇となった。
パラボナ型23号電探の実験にも使用され、終戦後は英国に返還された。



哨戒艇101号の要目(改装時)
基準排水量 1,150t
全長(L) 84.18m
水線長(W.L) 80.79m
最大幅(B) 8.17m
主機 ディーゼル2基2軸
10,000馬力
速力(K.NT) 25ノット
航続力 16ノット/8,000海里
武装 主砲 10p単装砲*3基
機銃 7.7o単装*1基
魚雷 61p4連装発射菅*1基







102号艇

スラバヤ占領時に港内で浮ドックごと沈没していた米駆逐艦『スチュアート』である。
バリ島沖海戦で損傷後、スラバヤの浮きドックで修理中であったが日本軍による占領の際に米軍によって自沈させられた。
本艦を浮揚作業・修理には現地に設けられた第102工作部が行っている。
主に船団護衛任務に従事したが、米軍には当時正体不明の米艦が行動中と悩ませることもあった。
戦後米国に返還されたが、その後標的艦として沈没した



哨戒艇102号の要目
基準排水量 1,270t
全長(L) 94.9m
水線長(W.L) 92.4m
最大幅(B) 9.4m
主機 ディーゼル2基2軸
28,500馬力
速力(K.NT) 26ノット
武装 主砲 8p単装高角砲*2基
機銃 25o連装*4基
25o単装*8基








103号艇

米掃海艇『フィンチ』をマニラ・キャビテ湾より引き上げて整備したものが本艦である。
浮揚作業・整備にはマニラの第103工作部があたった。



哨戒艇103号の要目
基準排水量 980t
全長(L) 56.2m
水線長(W.L) 55.0m
最大幅(B) 10.08m
主機 三連成機関1基単軸
1,400馬力
速力(K.NT) 13ノット
武装 主砲 7.5p単装高角砲*2基
爆雷 48発








104号艇・108号艇

元々は蘭領東インド政府の哨戒艇であったが、接収して哨戒艇籍に編入された。
2隻ともスラバヤにて第102工作部によって、改造されている。
戦時中は主に船団護衛任務に投入されたが、2隻とも失っている



哨戒艇104・108号の要目
基準排水量 795t
全長(L) 70.15m
水線長(W.L) 66.5m
最大幅(B) 7.95m
主機 レシプロ2基2軸
3,350馬力
速力(K.NT) 15ノット
武装 主砲 8p単装高角砲*1基
機銃 25o連装*2基
25o単装*4基
13o単装*2基
爆雷 48発







105号艇

米砲艦『アラヤット』が前身である。
マニラ・キャビテ湾に自沈(?)していた同艦を引き上げて修復したものである。
元々の前身は不明であり、詳細は資料紛失の為分かっていないが、一説には1880年代のスペイン統治時代に建造された1,200t級砲艦ではないかと言われている。
本艦がバシン川流域で沈んでいたものを米軍が引き上げて修理・利用したが、再び沈められたものを再度日本軍が使用したといわれている。



哨戒艇105号の要目
基準排水量 1,200t(?)
全長(L)    m
水線長(W.L)    m
最大幅(B)    m
主機   
速力(K.NT)    ノット
武装    (不明)   

*資料なし





106号艇

元オランダ海軍駆逐艦『バンケルト』である。
スラバヤ爆撃の際に沈没したものを第102工作部によって浮揚・修復したものである。
従来の兵装は全て撤去され、対空兵装中心の装備を行っている。また船体後部を他の日本製哨戒艇同様に大発を運用できるようにしており、大型のデリックを装備している。
修理完成が遅く、哨戒艇籍への編入は昭和19年4月20だが、整備が完了せず終戦まで未就役であった。



哨戒艇106号の要目
基準排水量 1,316t
全長(L) 98.2m
水線長(W.L) 93.5m
最大幅(B) 9.5m
主機 蒸気タービン基2軸
31,000馬力(新造時)
速力(K.NT) 36ノット(新造時)  26ノット(改装時)
武装 主砲 8p単装高角砲*2基
機銃 25o3連装*4基
爆雷 投射機*1基(24発)







107号艇

元米国曳航船であり、マニラ・キャビテ湾に沈んでいたものを第103工作部が引き上げて修復したものである。
昭和19年10月に改装が完了、哨戒艇籍に編入されたが、就役後僅か10日で米艦載機群の爆撃を受けて沈没した。



哨戒艇107号の要目
基準排水量 745t
全長(L) 54.9m
水線長(W.L) 48.2m
最大幅(B) 8.84m
主機 レシプロ1基単軸
1,000馬力
速力(K.NT) 15ノット
武装 主砲 8p単装高角砲*2基
機銃  (不明)
爆雷 48発







109号艇

元蘭領東インド政府の客船兼哨戒艇である。(蘭名『ファザント』)
バタビア湾に沈没していたものをスラバヤの第102工作部が浮揚・修復したものである。
ただし、修復完成が昭和20年4月であり、殆ど運用されなかった。
戦後はインドネシア政府の連絡艇として運用された。



哨戒艇109号の要目
基準排水量 592t
全長(L) 47.58m
水線長(W.L) 46.6m
最大幅(B) 8.36m
主機 レシプロ1基単軸
525馬力
速力(K.NT) 12ノット
武装 主砲 8p単装高角砲*1基
爆雷 48発