帝國海軍の駆逐艦(12) 





松級・橘級[丁型駆逐艦]
戦局の推移に伴い、駆逐艦の任務は戦前に考えられていた以上に多岐に渡る結果となった。
その為駆逐艦の絶対数が不足したため、遅まきながらも簡易型の戦時急造型駆逐艦が計画されたのが、本級の松級(丁型)であり、さらに簡略化された後期建造型の橘級(改丁型)である。

当時の日本海軍の艦艇建造計画は甲型[夕雲級]と乙型[秋月級]のみであり、消耗戦に適した量産型の駆逐艦は計画されていなかった。しかしガダルカナル島を巡る消耗戦を始め、航空機の攻撃による被害が増大し、艦隊戦力の消耗は大問題となっていた。
その為この事態に対処すべく1942年(昭和17年)11月に検討を開始、翌年2月に原案が決定した。
1番艦松は1943年(昭和18年)8月から起工され、以後量産しつづけられることとなる。
当初の計画では42隻が、つづいて32隻が予定されたが、竣工したものは32隻だけであり、建造中止が9隻、他は建造前に取り止めになっている。

徹底した簡略設計ではあったが、機関部配置・対空戦闘能力・対潜戦闘能力は優秀であった。
なにりも短時間で建造可能なのはなにより優れており、後期には3ヶ月で建造可能であった。事実戦時において軍艦に求められる第1のものは、この建造の容易さであった。
しかし従来の駆逐艦より低性能艦として考えられていた本級も、上陸作戦から輸送・護衛任務まで、かえって高性能艦には手に余る任務にも投入可能で使い勝手がよかったという。

本来なら開戦前から用意しておくべき艦艇だっただけに、開発のスタートが遅くなったのは残念である。                                                                                                                                  



松級・橘級の要目
   松級 橘級
基準排水量 1,260t 1,350t
全長(L) 100.0m
水線長(W.L) 98.0m
最大幅(B) 9.35m
主機 艦本式タービン2基2軸
19,000馬力
速力(K.NT) 27.81ノット 27.3ノット
航続力 18ノット/3,500海里
武装 主砲 12.7p連装砲*2基
12.7p単装砲*1基
機銃 25o3連装*4基
25o単装*8
25o3連装*4基
25o単装*13
魚雷 61p4連装発射菅*1基
(搭載魚雷4本)
爆雷 投射機*2基
爆雷投下軌条*2基
同型艦 18隻 14隻(他に未成艦9隻)



(各艦の戦歴)

1944年4月28日 舞鶴工廠で竣工
1944年8月4日 父島近海で米軍機の攻撃を受け沈没
1944年6月16日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として英国に引渡
1944年6月28日 藤永田造船所で竣工
1945年1月31日 台湾南方海域で米軍機の攻撃を受け沈没
1944年6月10日 舞鶴工廠で竣工
1944年12月15日 マニラ近海で米潜ホークビルの雷撃を受け沈没
1944年7月25日 藤永田造船所で竣工
1944年12月2日 オルモック湾で米艦隊と交戦 沈没
1944年8月14日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦としてソ連に引渡
1944年8月25日 藤永田造船所で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として中国に引渡
1944年8月10日 舞鶴工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として英国に引渡
1944年9月3日 横須賀工廠で竣工
1945年1月5日 マニラ近海で米軍機の攻撃を受け沈没
1944年9月30日 藤永田造船所で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として英国に引渡
八重桜 (橘型)
1945年3月17日 横須賀工廠で進水
1945年6月23日 建造中止
1945年7月18日 空襲により港内で沈没
1944年9月30日 舞鶴工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦としてソ連に引渡
1944年11月26日 藤永田造船所で竣工
1945年6月30日 下関で触雷大破 戦後解体
矢竹 (橘型)
1945年4月17日 建造中止 
船体を流用の為5月上旬より引渡 戦後解体
(橘型)
1945年3月20日 横須賀工廠で起工
1945年4月17日 建造中止 解体
1944年11月25日 横須賀工廠で竣工
1945年7月11日 大阪港で触雷 沈没
1945年1月18日 藤永田造船所で竣工
1945年7月14日 大湊で空襲を受け大破擱座
戦後解体
椿
1944年11月30日 舞鶴工廠で竣工
1945年7月14日 呉で空襲を受け中破
戦後解体
(橘型)
1945年3月5日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として米国に引渡
(橘型)
1945年5月29日 藤永田造船所で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として米国に引渡
1944年9月30日 横須賀工廠で竣工
1945年1月5日 マニラ近海で米軍機の攻撃を受け沈没
1945年6月23日 藤永田造船所で進水
同日建造中止 
戦後解体
1944年10月30日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として中国に引渡
若桜 (橘型)
1945年1月15日 藤永田造船所で起工
1945年4月 工事中止
戦後解体
1944年12月15日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として米国に引渡
(橘型)
1945年1月20日 横須賀工廠で竣工
1945年7月14日 函館港で米軍機の空襲を受け沈没
(橘型)
1945年2月8日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として中国に引渡
1945年3月1日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として英国に引渡
(橘型)
1945年3月26日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として英国に引渡
(橘型)
1945年4月28日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として英国に引渡
初桜 (橘型)
1945年5月28日 横須賀工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦としてソ連に引渡
(橘型)
1945年1月31日 舞鶴工廠で竣工
1945年6月22日 呉で空襲を受け損傷
終戦時 行動不能
戦後解体
(橘型)
1945年3月15日 川崎重工神戸造船所で竣工
1945年7月28日 呉で空襲を受け沈没
1956年5月31日 船体引揚げ
損傷復旧後、自衛艦『わかば』となる
1971年3月31日 退役 除籍後解体
(橘型)
1945年3月13日 舞鶴工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦としてソ連に引渡
(橘型)
1945年3月31日 舞鶴工廠で竣工
1945年6月20日 小浜で触雷 擱座
戦後解体
(橘型)
1944年12月29日 横須賀工廠で起工
1945年3月 建造中止 解体
雄竹 (橘型)
1945年5月15日 舞鶴工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦として米国に引渡
初梅 (橘型)
1945年6月18日 舞鶴工廠で竣工
終戦時 残存 復員輸送任務に従事
1947年7月 賠償艦としてソ連に引渡
(橘型)
1945年5月28日 舞鶴工廠で進水
終戦時 未成 戦後解体
1945年2月10日 舞鶴工廠で起工
1945年3月 建造中止 解体
1944年12月29日 横須賀工廠で起工
1945年3月 建造中止 解体