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途中で計画変更となっり、建造を打ち切られた初春級の改修型である。復元性能の不良が露呈した初春級のうち、未起工であった7番艦以降を急遽再設計し、別型の駆逐艦として建造されることとなった。
さらに1934年(昭和9年)度計画の第2次補充計画艦14隻分も本級とする予定であった。
しかしこの1934年時点で、日本はロンドン軍縮条約からの脱退を決意していた為、制限を考慮する必要がなくなっていた。しかし第1次補充計画艦(初春級の残り6隻分)と第2次補充計画艦の4隻分は既に機関等の機材が発注済であった為、この分を利用して1,700t級の中型駆逐艦10隻の建造を着手した。これが本級である。
建造中に第4艦隊事件が発生したが、船体の強度不足を再検討することにより、竣工時には十分な強度は確保されていた。しかし本級でも日本海軍が抱えた個艦優勢主義による小艦重武装主義を解決することはなく、設計が万全とはいいがたかった。とくに航続力の不足と計画速力の不足は用兵側の要求に足りていなかった。
ちなみに前期6艦の改修は船体工事がかなり進んでからの改修であったため、構造的には継ぎ接ぎだらけになったという。その点後期4艦は早い段階での改正であった為、違和感無く完成している。このため後期4艦を白露改型と称する場合もある。
1942年(昭和17年)夏より、戦訓による対空兵装の増加が各艦に順次行われている。
これは他の駆逐艦同様、主砲の1基撤去した上での機銃増設である。(全艦ではない)
本級は全艦が大戦中に戦没しており、残存艦は存在していない。
白露級の要目(開戦時) |
基準排水量 |
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1,685t |
全長(L) |
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110.0m |
水線長(W.L) |
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107.5m |
最大幅(B) |
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9.9m |
主機 |
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艦本式ギャードタービン2基2軸
42,000馬力 |
速力(K.NT) |
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34ノット |
航続力 |
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18ノット/4,000海里 |
武装 |
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主砲 |
12.7p連装砲*2基
12.7p単装砲*1基 |
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機銃 |
40o単装*2基(前期6艦)
13o連装*2基(後期4艦) |
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魚雷 |
61p4連装発射菅*2基
(搭載魚雷16本) |
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爆雷 |
投射機*4基 |
同型艦 |
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10隻 |
(各艦の戦歴)
白露 |
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1936年9月7日 |
佐世保工廠で竣工 |
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開戦時 |
第1水雷戦隊第27駆逐隊に所属 |
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1942年5月 |
珊瑚海海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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大戦中 |
主にソロモン方面で輸送作戦に従事 |
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1944年6月 |
マリアナ沖海戦に参加 |
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1944年6月15日 |
護衛中の清洋丸と接触 爆雷の誘爆により沈没 |
時雨 |
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1936年9月7日 |
浦賀船渠で竣工 |
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開戦時 |
第1水雷戦隊第27駆逐隊に所属 |
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1942年5月 |
珊瑚海海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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大戦中 |
主にソロモン方面で輸送作戦に従事 |
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1944年6月 |
マリアナ沖海戦に参加 |
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1944年10月 |
レイテ沖海戦に参加 |
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1945年1月24日 |
マレー半島東岸で米潜ブラックフィンの雷撃を受け沈没 |
村雨 |
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1937年1月7日 |
藤永田造船所で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第2駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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1942年11月12日 |
第3次ソロモン海戦に参加 |
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1943年3月5日 |
クラ湾で米艦隊と交戦後、米艦載機の攻撃により沈没 |
夕立 |
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1937年1月7日 |
佐世保工廠で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第2駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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1942年11月12日 |
第3次ソロモン海戦に参加 米艦隊と交戦により沈没 |
春雨 |
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1937年8月26日 |
舞鶴工廠で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第2駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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1942年11月12日 |
第3次ソロモン海戦に参加 |
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1943年11月30日 |
第27駆逐隊に編入 |
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1944年6月8日 |
渾作戦に参加 マリノワク近海で米軍機の攻撃を受け沈没 |
五月雨 |
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1937年1月29日 |
浦賀船渠で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第2駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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1942年11月12日 |
第3次ソロモン海戦に参加 |
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1944年6月 |
マリアナ沖海戦に参加 |
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1944年8月18日 |
バラオ北端で座礁 |
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1944年8月26日 |
離礁準備中に米潜バットフィッシュの雷撃を受け沈没 |
海風 |
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1937年5月31日 |
舞鶴工廠で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第24駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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1942年10月26日 |
南太平洋海戦に参加 |
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大戦中 |
以後、船団輸送作戦に従事 |
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1944年2月1日 |
トラック島北水道で米潜ガードフィッシュの雷撃を受け沈没 |
山風 |
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1937年6月30日 |
浦賀船渠で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第24駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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1942年6月23日 |
房総半島沖で米潜ノーチラスの雷撃を受け沈没 |
江風 |
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1937年4月30日 |
藤永田造船所で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第24駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年6月 |
ミッドウェー海戦に参加 |
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1942年10月26日 |
南太平洋海戦に参加 |
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1942年11月30日 |
ルンガ沖夜戦に参加 |
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1943年8月6日 |
ベラ湾海戦に参加 米艦隊と交戦、被雷沈没 |
涼風 |
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1937年8月31日 |
浦賀船渠で竣工 |
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開戦時 |
第4水雷戦隊第24駆逐隊に所属 比島攻略戦に参加 |
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1942年2月27日 |
スラバヤ沖海戦に参加 |
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1942年10月26日 |
南太平洋海戦に参加 |
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1942年11月30日 |
ルンガ沖夜戦に参加 |
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大戦中 |
以後、船団輸送作戦に従事 |
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1944年1月25日 |
ブラウン島への輸送船団護衛中に米潜スキップジャックの雷撃を受け沈没 |
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