帝國海軍の駆逐艦(5) 





初春級
ロンドン軍縮会議の結果、補助艦艇にも制限が加えられるようになった。
その為1,500t級の船体に特型と同等の兵装を装備すべく計画されたのが本級である。
61p3連装魚雷発射管にはそれぞれに次発装填装置を設けている。これは本級から配備されたものである。結果、特型と同等の兵装を装備はしたものの重心位置の上昇による復元性能が不足となった。

一番艦初春の公試運転中において、旋回中の同艦は、実に38度もの傾斜を記録くした。
これに対しバルジを設けたものの結果は芳しくなく、基準排水量が130tも増加してしまった。この結果建造中の3番艦以降は所要の改修を加えてからの竣工となったが、友鶴事件により同型艦全艦の設計見直しが行われた。
魚雷発射管を1基撤去し、船体前部の高い位置にあった第2砲塔を後部に移設することとなった。
この為、艦型はまったくの別艦のようになった。この改善工事は3・4番艦が進水直後に、5・6番艦は建造中に設計変更している。

続く第4艦隊事件で船体強度の不足が露呈したため再び全艦改修工事が行われた。
これらの一連の改善工事の結果、当初軍令部が求めた小型だか重武装高性能駆逐艦の姿はなく、特型駆逐艦より大幅に性能の劣る平凡な駆逐艦が出来上がった。
当初予定されていた1,400t級駆逐艦12隻が計画されていたが、6隻で打ち切りとなった。

戦時中は本級も戦訓による改善工事を行っており、対空兵装の増強を行っている。
終戦間際まで生き残った初霜は最終的には主砲(12.7p単装砲)1基を撤去し、25o3連装3基・連装1基・単装10基・13o単装4基といった重装備を施している。



初春級の要目 新造時 性能改善工事実施後(開戦時)
基準排水量 1,400t 1,700t
全長(L) 109.5m
水線長(W.L) 105.5m
最大幅(B) 10.0m
主機 艦本式ギャードタービン2基2軸
42,000馬力
速力(K.NT) 36.5ノット 33.3ノット
航続力 18ノット年4,000海里
武装 主砲 12.7p連装砲×2基
12.7p単装砲×1基
機銃 毘式40o単装×2基
魚雷 90式61p3連装発射菅×3基
(搭載魚雷18本)
93式61p3連装発射菅×2基
(搭載魚雷12本)
爆雷 94式爆雷投射機×1基
爆雷投下軌条×2基
爆雷×18発
同型艦 6隻



(各艦の戦歴)


初春
1933年9月30日 佐世保工廠で竣工
1936年5月9日 性能改善工事完了
1941年9月1日〜10月3日 佐世保にて出師準備工事にて修理
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942年1月 南方部隊(蘭印部隊)輸送船団護衛としてダバオ方面に出撃
ケンダリー攻略部隊に参加
1942年1月25日 『長良』と接触事故を起こし、損傷(ダバオに入港して応急修理)
1942年1月29日〜2月11日 ダバオにて工作艦『明石』により応急修理実施
1942年2月25日 佐世保に入港。その後入渠修理実施
1942年5月27日 大湊に向け出撃
北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942年6月7日〜8日 キスカ島・アッツ島攻略作戦に参加
1942年10月1日 キスカ島輸送作戦の為、『朧』と共に横須賀を出撃
1942年10月17日 キスカ島沖で米軍機の空襲を受け損傷
1942年10月25日 『若葉』に曳航され幌延島に到着、後『室戸』に曳航され舞鶴に向かう
1942年11月6日〜1943年9月30日 舞鶴にて入渠修理及びその他整備工事実施
一番砲塔を撤去し、横須賀に急送。損傷修理中の『雷』に転用される
対空兵装の増備工事実施
電波探信儀の装備実施
寒冷地域行動に対する改修工事実施
水中探信儀改修及び水中聴音機装備工事実施
爆雷兵装改造工事実施
1943年10月9日〜 内地〜シンガポール間の船団護衛任務に従事
空母『飛鷹』を護衛しシンガポールに進出
シンガポール〜パラ〜トラックを経由し横須賀に帰投
1944年3月1〜6月21日 北方部隊に編入、対潜哨戒任務・船団護衛任務に従事
1944年6月28日〜 伊号輸送作戦に参加
(硫黄島輸送作戦)
内地〜フィリピン輸送任務に従事
1944年9月21日〜10月1日 呉工廠にて入渠整備
1944年10月15日〜 台湾沖航空戦後の敵艦隊追撃任務に参加すべく呉を出撃
第五艦隊(志摩部隊)の護衛部隊としてフィリピン方面に進出
第ニ遊撃部隊の1艦としてレイテ突入予定だったがマニラ輸送任務に振り向けられる
1944年10月31日〜11月4日 第二次多号作戦に参加
(11月1日 作戦成功)
1944年11月13日 マニラ湾で米艦載機群の攻撃を受けて戦没

子日
1933年9月30日 浦賀船渠で竣工
1936年5月9日 性能改善工事完了
1941年9月1日〜10月5日 佐世保にて出師準備工事にて修理
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942年1月 南方部隊(蘭印部隊)輸送船団護衛としてダバオ方面に出撃
ケンダリー攻略部隊に参加
1942年2月 蘭印方面で船団護衛任務に従事
1942年4月13日 佐世保に入港し、AL作戦に備え、入渠整備実施
1942年5月29日 大湊に向け出撃
北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942年6月7日〜8日 キスカ島・アッツ島攻略作戦に参加
1942年7月5日 キスカ島近海で哨戒任務に従事に米潜水艦『トライトン』の雷撃を受け戦没

若葉
1934年10月31日 佐世保工廠で竣工
1936年5月9日 性能改善工事完了
1941年9月1日〜10月5日 佐世保にて出師準備工事にて修理
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942年1月 船団を護衛してダバオに進出。ケンダリー攻略部隊に参加
1942年1月25日 『長良』と接触事故を起こし、損傷(ダバオに入港して応急修理)
1942年2月8日 マカッサル攻略
1942年4月13日 佐世保で入渠整備
1942年5月20日 北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942年6月8日 アッツ島攻略作戦に参加
1942年7月 キスカ島近海で哨戒任務に従事
1942年8月 横須賀で入渠修理
その後千島列島方面で哨戒・護衛任務に従事
1942年12月 佐世保にて入渠整備
1943年3月26日 アッツ島沖海戦に参加
1943年3月30日 幌筵で『雷』と接触事故、損傷
1943年4月 横須賀で入渠整備
1943年7月2日〜 第一次キスカ撤収作戦に参加(作戦中止)
1943年7月22日 第二次キスカ撤収作戦に参加(作戦成功)
1943年7月29日 『初霜』と接触事故、損傷
1943年9月 佐世保工廠で入渠修理及び対空兵装増備工事
1943年10月 北方警備に従事
1943年11月13日〜 第二航空戦隊を護衛して呉〜マニラ〜シンガポール進出
1943年12月 『瑞鳳』を護衛してシンガポール〜パラオ〜トラック〜横須賀を航行
1944年3月 北方警備
1944年6月 伊号輸送作戦に参加
(硫黄島輸送作戦)
1944年8月 『山城』『扶桑』をマニラまで護衛
1944年10月16日 台湾沖航空戦後の米機動部隊捕捉部隊に参加
1944年10月24日 スル海で米機動部隊艦載機の攻撃を受けて戦没

初霜
1934年9月27日 浦賀船渠で竣工
1936年6月9日 性能改善工事完了
1941年9月1日〜10月3日 佐世保にて出師準備工事にて修理
開戦時 第一水雷戦隊第二一駆逐隊に所属
主力部隊として柱島で待機
1942年1月 船団を護衛してダバオに進出。ケンダリー攻略部隊に参加
1942年2月8日 マカッサル攻略
1942年4月13日 佐世保で入渠整備
1942年5月20日 北方部隊に編入 アリューシャン攻略部隊に参加
1942年6月8日 アッツ島攻略作戦に参加
1942年7月 キスカ島近海で哨戒任務に従事
1942年7月29日 『若葉』と接触事故、損傷
1942年8月 横須賀で入渠修理
その後千島列島方面で哨戒・護衛任務に従事
1942年12 佐世保にて入渠整備
1943年3月26日 アッツ島沖海戦に参加
1943年3月30日 幌筵で『雷』と接触事故、損傷
1943年4月 横須賀で入渠整備
1943年7月2日〜 第一次キスカ撤収作戦に参加(作戦中止)
1943年7月22日 第二次キスカ撤収作戦に参加(作戦成功)
1943年7月29日 『若葉』と接触事故、損傷
1943年11月13日〜 第二航空戦隊を護衛して呉〜マニラ〜シンガポール進出
1943年12月 シンガポール〜パラオ〜トラック〜横須賀を航行
1944年3月 『瑞鳳』『龍鳳を護衛してサイパンへ航行
1944年6月19日 マリアナ沖海戦に参加(給油艦護衛)
1944年10月24日 スル海で米機動部隊艦載機の攻撃を受け損傷
1945年4月7日 坊ノ岬沖海戦に参加
1945年7月30日 舞鶴・宮津湾で空襲中に触雷し、擱座。
その後爆雷の爆雷の誘爆により大破、着底(沈没)

有明
1935年3月25日 川崎重工神戸で竣工
1936年11月30日 性能改善工事完了
1941年7月28日〜9月6日 佐世保にて出師準備工事にて修理
開戦時 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に所属
連合艦隊主力部隊の1隊として柱島に待機
1942年1月〜 アンボン・ケンダリー攻略作戦に参加
1942年2月15日 ポート・ダーウィン攻撃に参加
1942年3月10日 インド洋機動作戦に従事
1942年4月25日 第五航空戦隊に配属
1942年5月7日 珊瑚海海戦に参加
1942年6月5日 ミッドウェー作戦に参加(『鳳翔』の護衛任務)
1942年8月22日 ナウル島砲撃
1942年8月25日 ナウル島攻略
1942年12月26日 セント・ジョージ岬沖で空襲により中破
1943年2月2日〜 佐世保で修理完了後、トラック〜ラバウル間の護衛任務に従事
1943年7月28日 ツルブ輸送作戦中に米軍機の攻撃を受け戦没

夕暮
1935年3月30日 舞鶴工廠で竣工
1936年11月30日 性能改善工事完了
1941年7月28日〜9月6日 佐世保にて出師準備工事にて修理
開戦時 第一水雷戦隊第二七駆逐隊に所属
連合艦隊主力部隊の1隊として柱島に待機
1942年1月〜 アンボン・ケンダリー攻略作戦に参加
1942年2月15日 ポート・ダーウィン攻撃に参加
1942年3月10日 インド洋機動作戦に従事
1942年4月25日 第五航空戦隊に配属
1942年5月7日 珊瑚海海戦に参加
1942年6月5日 ミッドウェー作戦に参加
1942年8月22日 ナウル島砲撃
1942年8月25日 ナウル島攻略
1943年7月16日
  (7年20日?)
ラバウル近海で米軍機の爆撃を受け戦没
(※7月16日戦没と7月20日戦没の資料あり)