帝國海軍の駆逐艦(4) 





吹雪級[特型駆逐艦T型・改T型・U型・V型]
ワシントン軍縮条約によって、主力艦の保有に制限が設けられた為、条約制限外の補助艦艇に性能向上と増強に力を注ぐこととなった。
この制限下において、今までの八八艦隊計画において計画された今までの駆逐艦より砲雷撃力の強化と運動性・凌波性を同等以上の性能を持つ駆逐艦の建造を要望した。それが特型と呼ばれる新型駆逐艦である。
船体の徹底的とも言うべく重量軽減が行われ、かわりに制限一杯にまで兵装を強化したのである。
主砲・発射管を始め、防楯を装備することにより風浪中であっても戦闘が継続出来るようになった。結果、従来の駆逐艦に比べて画期的な性能向上を行っている。
これにより従来の駆逐艦の概念を一変させるもので、主力艦の保有制限を十分に補えるものと考えられた。

1928年(昭和3年)に最初の吹雪が竣工した初期の9隻は特T型と呼ばれる。
主砲に12.7p連装A型砲塔を有し、魚雷発射菅には当初シールドは装備していない。方位盤も単純なものであった。

竣工後は1930年(昭和5年)頃に煙突頭頂部に雨水除けのキャップが装着され、外観の印象が変わっている。
第4艦隊事件で初雪と夕霧[特U型]が波浪の直撃により艦首部分切断という辞退に直面し、船体強度の欠陥が露呈した。
特型各艦は大気簿な船体強度改善工事が行われ、これにより魚雷発射菅の防盾装備等の変化がした。
(1934年(昭和4年)に事故で沈没した深雪は当然無改造である。)

特U型は特T型に比べ、各種の改修が行われている。缶室の給気孔廻りを変更し、効率の上昇を図っている。これは煙突廻りは商船に見られるような従来型のキセル型給気孔をお椀方のにものに変更し、煙突の内筒と外筒の間から缶室に導く形状に変更した。この形式の方法は以後の日本海軍駆逐艦の標準的なスタイルとなった。
砲塔も特T型が採用したA型砲塔からB型砲塔に変更した。これはA型が仰角40度と小さかったものを仰角75度とし、対空射撃が可能なようになっている。ただし、次発装填の為に砲身を一度水平に戻す必要があるため、発射間隔は通常より4〜5倍かかる(約15秒間隔)
ちなみに10番艦浦波は機関・船体を改修したU型に属する船体だが、武装は主砲の製造が間に合わなかった為、T型と同等のA型砲塔を装備している。
実際はU型でありながらも兵装がT型であるため、改T型と私称される。T型とU型の合いの子的存在といえる。
特U型10隻中、後期艦4隻はさらに煙突廻りの小改造が行われている為、改U型・特U後期艦とも称することがある。

特V型は特U後期艦よりも高効率のボイラーを搭載している。このため従来型のボイラー4缶から3缶に減らすことが可能になった。この結果、1番煙突が半分の細い丸型に変更されている。その分の重量軽減は重油搭載量の増加に充当している。また艦橋構造物のレイアウトが変更されたが、これはより大型化し、結果的に重量の増加を招いている。
友鶴事件により、艦橋のコンパクト化工事を計画したが、続く第4艦隊事件で船体の強度不足が露呈した為、主要部の補強工事もあわせて改修工事が実施されている。またこの時期に砲塔をC型砲塔に換装している。
速力も重心降下の為に設けた艦底のバラストキールによって、当初より幾分速力が減少し34.5ノット程度になっている。

各艦とも大戦時の戦訓改修で対空兵装の増強が行われている。
当初7.7oまたは13o単装機銃2基であったものを13o連装または25o連装に換装し、艦橋前に25o連装を増強している。更に大戦末期には2番砲塔を撤去して25o3連装機銃を増強している艦もある。
特型駆逐艦として大戦を生き延びた駆逐艦響の場合、主砲を一基取り外して25o連装1基・3連装4基・単装8基・13o単装6基もの兵装を搭載していた。



特型の要目
   特T型 改T型 U型 V型
基準排水量 1,680t
全長(L) 118.5m
水線長(W.L) 115.3m
最大幅(B) 10.36m
主機 艦本式タービン2基2軸
50,000馬力
速力(K.NT) 37ノット 38ノット
航続力 14ノット/4,500海里
武装 主砲 12.7p連装砲*3基[A型砲塔] 同左[B型砲塔]
機銃 7.7o単装*2基 13o単装*2基
魚雷 61p3連装発射菅*3基(搭載魚雷18本)
爆雷 投射機*2基
同型艦 9隻 1隻 10隻 4隻




(各艦の戦歴)

T型 吹雪 第十一駆逐隊を参照

白雪 第十一駆逐隊を参照

初雪 第十一駆逐隊を参照

深雪
1929/6/29 浦賀船渠で竣工
1934/6/29 済州島南方海域で演習中に駆逐艦電と衝突、艦首切断の後沈没

叢雲 第十一駆逐隊第十二駆逐隊を参照

東雲 第十二駆逐隊を参照

薄雲 第十二駆逐隊を参照

白雲 第十二駆逐隊を参照

磯波 第十九駆逐隊を参照

改T型 浦波 第十九駆逐隊を参照

U型 綾波 第十九駆逐隊を参照

敷波 第十九駆逐隊を参照

朝霧 第二十駆逐隊を参照

夕霧 第二十駆逐隊第十一駆逐隊を参照

天霧 第二十駆逐隊第十一駆逐隊第十九駆逐隊を参照
第十一駆逐隊への編入時期が不明)

狭霧 第二十駆逐隊を参照





V型









磯波
1928年6月30日 浦賀船渠で竣工
開戦時 第3水雷戦隊第19駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942年6月 ミッドウェー作戦に参加
大戦中 主に南方への船団輸送任務に従事
1943年4月9日 バンダ海で米潜タウトグの雷撃を受けて沈没
改T型
浦波
1929年6月30日 佐世保工廠で竣工
開戦時 第3水雷戦隊第19駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942年6月 ミッドウェー作戦に参加
1942年11月14日 第3次ソロモン海戦に参加
大戦中 主に南方への船団輸送任務に従事
1944年10月26日 マニラ湾で米機動部隊艦載機の攻撃を受け沈没
U型
綾波
1930年4月30日 藤永田造船所で竣工
開戦時 第3水雷戦隊第19駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942年6月 ミッドウェー作戦に参加
1942年11月15日 第3次ソロモン海戦に参加 米艦隊と交戦、被弾沈没
敷波
1929年12月24日 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第3水雷戦隊第19駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942年6月 ミッドウェー作戦に参加
1942年11月14日 第3次ソロモン海戦に参加
1944年9月12日 海南島付近で米潜グローラーの雷撃を受け沈没
夕霧
1930年12月3日 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第3水雷戦隊第20駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942年1月27日 エンドウ沖海戦に参加
1942年6月 ミッドウェー作戦に参加
1943年11月25日 セントジョージ岬沖海戦に参加 米艦隊と砲戦、被弾沈没
天霧
1930年11月10日 石川島造船所で竣工
開戦時 第3水雷戦隊第20駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1942年1月27日 エンドウ沖海戦に参加
1942年6月 ミッドウェー作戦に参加
大戦中 以後、ソロモン海域での輸送任務に従事
1943年7月5日 クラ湾夜戦に参加
1944年4月23日 マカッサル海峡で触雷沈没
狭霧
1931年1月31日 浦賀船渠で竣工
開戦時 第3水雷戦隊第20駆逐隊に所属 マレー半島上陸作戦に参加
1941年12月24日 ボルネオ沖で蘭潜K16の雷撃を受け沈没
1931年10月31日 佐世保工廠で竣工
開戦時 第7駆逐隊に所属 グァム島攻略作戦に従事
1942年4月10日 横須賀鎮守府所属に編入
1942年10月17日 キスカ島近海で米軍機の攻撃を受け沈没
1931年7月31日 藤永田造船所で竣工
開戦時 第7駆逐隊に所属 グァム島攻略作戦に従事
1942年5月7日 珊瑚海海戦に参加
1942年6月 アリューシャン作戦に参加
1944年1月 第5艦隊第1水雷戦隊所属
1944年10月 レイテ海戦に参加
1944年11月13日 マニラ港内で爆撃を受け沈没
1932年5月19日 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第7駆逐隊に所属 ミッドウェー島砲撃作戦に従事
1942年2月27日 スラバヤ沖海戦に参加
1942年5月7日 珊瑚海海戦に参加
1942年6月 アリューシャン作戦に参加
1944年1月14日 ヤップ島近海で米潜アルバコアの雷撃を受け沈没
1931年11月14日 浦賀船渠で竣工
開戦時 第7駆逐隊に所属 ミッドウェー島砲撃作戦に従事
1942年2月27日 スラバヤ沖海戦に参加
1942年5月7日 珊瑚海海戦に参加
1942年6月 アリューシャン作戦に参加
1944年1月 第5艦隊第1水雷戦隊所属
1944年10月 レイテ海戦に参加
終戦時 横須賀で残存 戦後復員輸送に従事
1948年8月 解体処分
V型
1932年11月30日 佐世保工廠で竣工
開戦時 第6駆逐隊に所属 比島攻略部隊、ジャワ攻略部隊の各隊を支援
1942年2月28日 バタビア沖海戦に参加
1942年6月 アリューシャン作戦に参加
1942年10月25日 ルンガ沖海戦に参加
1942年11月12日 第3次ソロモン海戦に参加 米艦隊と交戦、被弾沈没
1933年3月31日 舞鶴工廠で竣工
開戦時 第6駆逐隊に所属 比島攻略部隊、ジャワ攻略部隊の各隊を支援
1942年2月28日 バタビア沖海戦に参加
1942年6月 アリューシャン作戦に参加 キスカ島で被弾中破
大戦中 以後、船団護衛任務に従事
1944年6月 マリアナ沖海戦に参加
1944年9月6日 高雄近海で被雷損傷
1945年3月29日 周防灘で触雷損傷
終戦時 残存 戦後復員輸送に従事
1947年7月 賠償艦とソ連に引渡
1932年8月15日 浦賀船渠で竣工
開戦時 第6駆逐隊に所属 比島攻略部隊、ジャワ攻略部隊の各隊を支援
1942年3月1日 スラバヤ沖海戦に参加
1942年6月 アリューシャン作戦に参加
1942年11月12日 第3次ソロモン海戦に参加
1944年4月14日 メレヨン島近海で米潜ハーダーの雷撃を受け沈没
1932年11月15日 藤永田造船所で竣工
開戦時 第6駆逐隊に所属 比島攻略部隊、ジャワ攻略部隊の各隊を支援
1942年3月1日 スラバヤ沖海戦に参加
1942年6月 アリューシャン作戦に参加
1942年11月12日 第3次ソロモン海戦に参加
1944年5月14日 セレベス海で米潜ボーンフィッシュの雷撃を受け沈没