スラバヤ沖海戦
[1942/2/27〜3/1]



 
ジャワ島上陸船団接近を知ったABDA艦隊が索敵・迎撃のために出撃、これと護衛の第5戦隊以下の艦隊との間で発生した海戦。
通常は高木武雄少将率いるジャワ島攻略船団護衛部隊との戦いと、その後の掃討戦、別々に解説するのが普通だが今回は纏めて一つの海戦として解説します。
この海戦は双方の水上艦艇多数が参加した初の大規模水上海戦である。
結果的には日本軍の圧勝とも言うべき戦いであったが、いくつかの問題点も表面化した海戦であった。

2/25にスラバヤを出港したABDA艦隊(司令長官:カレル・ドールマン少将)はジャワ島に接近する日本艦隊を索敵したが発見出来なかった。このため2日後の2/27には燃料補給の為一旦スラバヤに帰投する。これは当日早朝に日本海軍航空隊の陸攻による攻撃を受けた為でもあるが、艦隊に損害はなかった。
一方敵艦隊発見の報を知らされた第5戦隊司令官高木武雄少将は上陸部隊を輸送している船団を一時切り離し、ABDA艦隊捕捉・撃滅の為艦隊をスラバヤに向けさせる。
重巡『那智』の水偵がスラバヤ入港直前のABDA艦隊を発見、その後ABDA艦隊も日本の攻略部隊発見の報を受けた為これを攻撃すべく反転、再進撃をを開始した。
この状況は『那智』の水偵が詳報を送っていたため、高木少将は全艦をスラバヤに向け、水上決戦を目指した。

最初の戦闘は第2水雷戦隊(司令官:田中頼三少将)旗艦・軽巡『神通』がABDA艦隊の発見から始まる。
同航態勢になった第2水雷戦隊にあわせ、第5戦隊も変針したが、第4水雷戦隊(司令官:西村祥治少将)は接近を続けた。
距離16,800mから『神通』が砲撃を開始、続いて後続の第5戦隊・重巡『那智』『羽黒』も距離26,000mで砲撃を開始した。
ABDA艦隊も砲撃を開始、第2水雷戦隊に砲撃が集中した。このため2水戦は煙幕を展開、一時砲撃を中止して退避する。
一方12,000mまで接近した4水戦は軽巡1隻・駆逐艦6隻から合計27本の魚雷を発射した。しかし魚雷到達前に多数が自爆、戦果はなかった。
これは開戦当初に多く見られた現象で、敵艦に当った際に爆発しないと拙いとの判断から起爆装置の調整を軽めにした為であった。故に発射後安全装置が外れた段階で波浪の衝撃で爆発するケースが多発したのである。
第5戦隊はABDA艦隊に対し、距離20,000m以上を保ったまま砲撃を継続した。これは重巡の有効射撃距離ギリギリの線であり、結果として命中弾を与えることが出来ずにいた。
この状況打開の為、第5戦隊は雷撃を実行すべく、25,000mから魚雷を8本発射(『羽黒』のみ発射、『那智』は発射装置の故障に付き発射できなかった)、続いて全軍突撃を命じる。

突撃を開始した直後、『羽黒』の主砲弾が重巡『エクゼター』に命中、弾薬庫・機関室にまで被害が及んだ同艦は後続艦に針路を譲るべく変針する。ところが変針命令と勘違いした重巡『ヒューストン』が続航し、その上『羽黒』が発射した魚雷が駆逐艦『コルテノール』に命中・爆沈した為ABDA艦隊は混乱した。
全艦突撃してくる日本艦隊から離脱すべく煙幕を展開したABDA艦隊は追撃をかわし離脱に成功する。

再度のABDA艦隊捕捉成功した第5戦隊の重巡2隻は再び砲雷撃戦を開始するが、これも25,000mからの遠距離戦であった。
一方の水雷戦隊は接近を続ける。
第2水雷戦隊と第5水雷戦隊附属の駆逐艦『山風』『江風』は9,000mまで接近して雷撃、第4水雷戦隊第2駆逐隊の駆逐艦『村雨』『五月雨』『春風』『夕立』が7,500m、第9駆逐隊の駆逐艦『朝雲』『峯雲』は6,000mまで肉薄しての雷撃を行った。ただし、これら一連の魚雷攻撃による戦果はなかった。

これに対しABDA艦隊も重巡『ヒューストン』『エクゼター』が反撃し、第4水雷戦隊旗艦 『那珂』に砲撃を集中し、第9駆逐隊の4隻には駆逐艦『エレクトラ』『エンカウンター』が反撃、反転して3,000mで砲撃戦が開始された。
『エレクトラ』の砲弾は『朝雲』の機関部に命中・大破したが、『峯雲』の援護を受け離脱に成功した。逆に『エレクトラ』は被弾沈没した。
日没後、視界が悪化するにつれ戦闘が混乱した為、高木少将は追撃を中止、艦隊の再編成後夜戦の準備を始めた。

戦場を離脱したABDA艦隊も再編成後、再び攻撃のために北上を開始する。
水偵を収容作業中の『那智』『羽黒』を発見し、即攻撃を開始した。
第5戦隊は煙幕を展開しつつ一時離脱、この攻撃を確認した第4水雷戦隊は雷撃による反撃を試みる。第5戦隊が態勢を整えてから反転攻勢に転じた時、ABDA艦隊を発見できなかった。
このときABDA艦隊は日本の哨戒線を突破、輸送船団攻撃のために東方に向けて変針していた。
途中損傷艦及び燃料の不足している駆逐艦5隻はスラバヤに帰投したが、残る巡洋艦『デ・ロイテル』『ジャワ』『ヒューストン』『パース』の4隻と駆逐艦『ジュピター』が陸岸近くを進撃していたのだ。ただし途中『ジュピター』がオランダ軍の敷設した機雷に接触爆沈している。
残された4隻は尚も進撃し、2300に再び北上を開始した。

第5戦隊は見失ったABDA艦隊を捜索すべく南下し再び北上してくるABDA艦隊を発見、敵艦隊前方で反転し距離12,000mで同航戦となった。
砲撃は開始されたものの昼間の戦いで弾薬を消耗していた為積極的な砲撃戦は行われなかった。
この間に『那智』『羽黒』の魚雷が発射され、『デ・ロイテル』『ジャワ』に命中、共に撃沈した。
『デ・ロイテル』に座乗していたドールマン少将は艦と運命を共にした。
残された『ヒューストン』『パース』は離脱、西方バタビヤ方面に向かった。
高木少将は再び艦隊に追撃を行うべく再集結を計ったが、集結に手間をとり、結局追撃は中止された。
各部隊には輸送船団に対する警戒態勢に戻るよう指示をし、この海戦は終了した。

尚、この海戦の後、中破した重巡『エクゼター』はスラバヤで応急修理した後、駆逐艦『エンカウンター』『ポープ』と共にセイロン島方面に向かうこととなる。
この為、ジャワ海を突破する必要があったのだが、この海域には第5戦隊が掃討作戦のために展開中であった。
3/1 バウエアン島西方海域で『エクゼター』他を発見した第5戦隊はこれを追撃する。しかし先日の海戦で消耗した弾薬の補充を受けていない為、針路を抑えて蘭印攻略部隊に配備されていた重巡『妙高』『足柄』の到着を待つこととした。
発見から40分後、第3艦隊(司令長官:高橋伊望中将)率いる重巡『妙高』『足柄』が到着、『エクゼター』隊を挟撃した。
『妙高』『足柄』が北方24,000mの距離から、『那智』『羽黒』が南方から25,000mの距離から同航戦による砲撃を開始した。
『エクゼター』の反撃は散発的であったという。煙幕を展開しつつ東方に離脱したが、重巡4隻の集中砲火により火災発生・速力低下、追いついた日本艦隊によって雷撃により撃沈された。
続いて『エンカウンター』も集中砲火により撃沈、『ポープ』は煙幕を展開、スコールに飛び込んで離脱に成功するものの第4航空戦隊(司令官:角田覚治少将)の空母『龍驤』を発艦した九七艦攻6機の爆撃により被弾・航行不能となった。
追撃してきた『妙高』『足柄』により捕捉され撃沈された。

この海戦を持って蘭印方面の連合軍艦隊は壊滅したのである。

この海戦はいくつかの教訓と反省をもたらした。
2/27の昼間の海戦で第5戦隊が25,000mの遠距離砲撃戦を続けた点である。
自艦の損害を減らしねアウトレンジから砲撃して叩こうとした結果であったが、命中弾が出ず、結果として弾薬の消耗をしただけであった。
この海戦により中央からは高木少将は消極的と批難された。
報告書によると第4水雷戦隊司令官 西村祥治少将は砲戦距離が過大であると批難している。

また雷撃運用にも問題があった。
第2水雷戦隊司令官 田中頼三少将は昼間の対巡洋艦隊に対する突撃は困難とし、接近してくる敵艦隊に対しては遠距離雷撃は有効と報告した。
日本海軍水雷戦術は突撃しての肉薄雷撃を身上としたが、実際には困難だと従来の戦法の見直しを提言している。
しかしこれは敢闘精神に反するとして中央で後々まで問題となった