本土防空戦
1944年(昭和19年)6月〜1945年(昭和20年)8月

 
  
B-29による日本本土空襲。最後には原子爆弾による核攻撃まで行った米陸軍航空隊、そして米海軍空母機動部隊艦載機群まで。
これら米軍機に立ち向かった日本陸海軍機の本土防空戦に関する記録です。
(一部、本土以外の防空戦も記録も有)

1944年(昭和19年)
6月
  
マリアナ陥落
中国大陸・成都よりB−29による本土初空襲
 
7月
  
B-29部隊の指揮官が交代し、カーチス・E・ルメイ将軍が着任。
本土防空組織の改編が行われる。
 
8月
 
9月
  
10月
 
11月
 
12月
 

1945年(昭和20年)
1月
 
2月
 
3月
 
東京大空襲
4月
 
5月
 
6月
 
7月
 
8月
 
広島・長崎に原子爆弾投下
終戦
                                                                                                                                                                                                                                                           .